あがる心とは

  • 2019.09.12 Thursday
  • 22:54

 

「あがる」のを防ぐとても良い方法。

 

あがるのは、どう見られるか不安だという心から来る。

 

良く見られたい、こう思われたい。

 

つまり、ズバッと言えば、エエカッコしいだということですね。(笑)

 

 

クラスの中で、しょっちゅう「自分を俯瞰して」ということを言うのだが、

 

自分を俯瞰する存在は、Yogaでは「真我」とか、プルシャというものだ。

 

肉体や心は、本当の自分ではないという考え方をする。

 

肉体や心を見ている存在が本当の自分。

 

これが意識できるようになると、「あっ、今自分はええかっこしいになってるな」

 

と、気づくことができる。

 

この「あがる」心は、期待と執着から来る。

 

「自分」「自分」「自分」(ここで言うのは、肉体と心、偽の自我のこと)

 

自分がどう見えるか、見られるかと、自分に夢中になっている状態。

 

先日も書いたが、自分に矢印が向いてる。

 

いろんな心の病も、大部分が、この「自分に矢印」が原因になってる。

 

 

じゃあ、どうすればいいの?

 

それは、目の前のことに一生懸命になっていくことだ。

 

あがるのであれば、お客さん、聴衆、生徒さんに矢印を向ければ良いのだ。

 

その人たちのために、何ができるのかだけを考える。

 

自分の技術に、喋りに、自信がなければ、なおさら、全力で相手に精一杯尽くせば、

 

結果、あがることなんて忘れてしまえる。

 

どうすれば、喜んでもらえるかを考えるのだ。

 

期待や執着なんて、相手を思う気持ちの前には吹っ飛んでしまう。

 

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

迷惑をかける、かけられる

  • 2019.09.11 Wednesday
  • 20:46

 

去年、聖地ヴリンダーヴァンへ行ってから、ものの見方が激変して、意識も変わった。

 

どういう風に?というと、

 

人とのつきあい方が、まず一番大きく変わった。

 

自分に近い人、遠い人、という垣根が無くなった。

 

自分に関係がなかったとしても、目の前の人のために何ができるかという意識を

 

持てるようになった。これは驚きだった。

 

それは、ヴリンダーヴァンの人々の多くがみんなそうだったから。

 

特に寺院では、外国からやってきた私のようなたった一人の人間のために、みんなが

 

手を貸そうとしてくれたことに本当に感動し、自分の本当の価値を

 

知ることができた。

 

 

日本にいると、「人に迷惑かけちゃいけません」という道徳?がはびこっている。

 

人に迷惑かけちゃいけない = 迷惑かける人は悪い

 

という思考になりやすい。

 

例えば、電車の中で強い香水つけてたり、ニンニク臭強いのに対策してないとか(笑)

 

でかいバックパック背負ったまま満員電車に乗るとか、イヤホンの音漏れとか、

 

そういうのは、マナー違反であって、迷惑以前の問題。それはまた別のこととして、

 

人に迷惑かけることは良くないことだからと、常に周囲にビクビクしながら

 

お互いの距離を縮められずにいるのが、日本の、特に都会の人の特徴じゃないだろうか。

 

そんな中にいると、人と人は次第に離れていき、(上っ面ではいい顔をするので疲れる)

 

迷惑かけないようにと、隅っこで出過ぎないように生きることになる。

 

また、迷惑かける人を断罪して距離を置くことでも、人と人は分断される。

 

 

 

 

 

自分の価値とは、「自分は優れている」とか、「自分は人に一目置かれるべき存在だ」とか、

 

逆に、「私なんて何の役にも立たない」とか、「自分は誰にも認められない」

 

「自分などちっぽけな存在だ」 といったジャッジで決まるものではない。

 

人から与えられたり、自分が決めつけたジャッジで、価値を決めてはいけない。

 

上とか下とか、そんなものはなく、ただ穏やかな水平ラインに乗ってる、

 

ただそこに存在していることが「価値」なのだということ。

 

そこにいて良いのだ。

 

存在している者には誰にでも愛を渡す、誰からでも愛を受ける。

 

ヴリンダーヴァンでは、それを肌で理解できた。

 

「迷惑」は愛を感じるための源。

 

世話 のことを サンスクリット語でセーヴァという。

 

(日本語の「世話」は、「セーヴァ」から来ているらしい)

 

「迷惑」を「世話」に置き換えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に矢印

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 17:27

 

台風の影響が残って、電車が間引き運転になっている。

 

昼間、クラスをしに出かけた。

 

酷暑の中、30分に1本、下手すると40〜50分に1本の電車を待って、

 

やっと乗れる状況だ。

 

幸い、目の前の席が空いたので、スッと座ったら、ご高齢の男性が近くに立っていた。

 

よろしければどうぞ、と席を譲ると、ホッとした顔で、ありがとうと座ってくださった。

 

そのまま優先席の前でつり革を握って立つと、また一人、本当にご高齢の男性が

 

遠慮しがちに、優先席近くのドアの前に立っているのに気づいた。

 

見ると、優先席に座っているのは6席のうちの5人が、若者と40~50代くらいの人々。

 

みんなスマホに夢中になって、お年寄りや周囲に全く気づいてない。

 

怒りは湧かなかったが、「ここは優先席なので、お年寄りがいたら席を譲られては

 

いかがですか?」と声をかけると、はっという顔で立とうとした人もいた。

 

でも、当のお年寄りがイヤイヤと手を振って、「大丈夫、大丈夫」という

 

ゼスチャーをしたら、全員がまた立ち上がることもなく、スマホに目を落としてしまった。

 

そりゃそうだよね。私が言ったから優先席が空き、そうですか、では、と座る人も

 

恥ずかしいだろう。

 

それはわかっていたのだが、でもやっぱり気づいて欲しかったから、つい言ってしまった。

 

正義とかそういうのでもなく、気づこうね、という気持ちだったのだ。

 

 

降車駅で降りぎわに、別のお年寄りの男性が、

 

「あなたの勇気のある発言、素晴らしかったです。ありがとう」と言ってくださった。

 

いやいや。私などにそう言ってくださるあなたの勇気の方が、素晴らしいですと思った。

 

そのお気持ちを嬉しく思いつつも、そんなことでお礼を言われないような、

 

みんなが周囲の弱い人に気づく社会になれば良いなと思ったし、もしかして優先席に

 

座ってスマホ叩いて元気そうに見える若い人でも、どこか身体が辛い人もいたかも

 

しれないなあと、少し反省もした。

 

 

自分意識。

 

私自身も、しょっちゅう自分意識になってしまう。

 

自分のこと、自分に関係することだけに夢中。自分のことで精一杯。

 

それを続けていると、自分のことしか考えない人ばかりの社会になってしまう。

 

するとどうなるか。

 

自分が弱い立場に置かれた時に、それがわかる。

 

 

日本人は絶対に、内側に優しさを持っている。

 

インドの聖者も、その日本人の美徳を褒めていた。

 

思いやりの心、控えめな優しさ。

 

それは、自分に矢印が向いている時、発揮されない。

 

目の前の人、周りの人に意識を向けた時、自分が思ってないような幸せが

 

不思議にやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風で気づく

  • 2019.09.09 Monday
  • 17:49

 

助けてもらったら、助ける。

 

助けると、助けてもらえる。

 

そんな風に自分ができることで、周りに思いやりを配れるといい。

 

最近、周りの人たち、生徒さんや、学ぶ仲間たちの顔が変わっていくのを

 

たくさん見ている。

 

輝く・・・というようなのでもないんだけど、なんていうか、スッキリ、

 

何かが取れてる。笑

 

きっと、みんな何かに気づいてるんだなあと思う。

 

 

今日は私ができたことは、

 

交通マヒの中、来てくれた生徒さんにYogaをお伝えできた

 

家の前、フェンスの中の大量の葉っぱを掃除

 

 

何でも良いのだ。毎日の小さなことでも、

 

自分のためではなく(仕事も、お金のためじゃなく)人のためという

 

意識でする。

 

そうすると、それを神様が見ている。(それを意識しない 笑)

 

それが自分を幸福にするという事に気付いてくる。

 

 

 

 

永遠の定義

  • 2019.09.08 Sunday
  • 22:19

 

私たちは物質的な世界で生きている。

 

この身体(肉体)に関することは全て物質的なもの、と考えるのがYoga哲学、ヴェーダの教えだ。

 

肉体というこの固体は物質だ、といえばわかりやすいが、実は、「心」も物質に

 

カテゴライズされる。

 

物質は永遠ではない。必ず滅びるものだ。

 

この宇宙も物質。小宇宙である人間も、物質。

 

物質である肉体と心を、本当の自分だと思ってはいけないと教えるのがYogaなのだ。

 

物質界の中で一生懸命生きている私たち。

 

その本質は、その肉体と心を見ている存在、魂だと考える。

 

この絶対哲学が素晴らしいのは、いつか滅びるものの為に、刹那的に生きるのは

 

得策ではないと教えてくれているところだと思う。

 

この視点があるだけで、全てのピントが合ってくる。

 

私たちはこの肉体と心を楽しませようと、様々なことをする。

 

人生一度きり、楽しまなきゃ!と、あたかもそれが素晴らしい哲学であるかのように、

 

自分を喜ばすことを探す。

 

しかし、楽しいことは続かない。

 

飽きる。

 

どんなにお金儲けをしても、美を磨いても、資格を取ったり、高い地位を得ても、

 

欲望は限りなく生まれる。

 

人は歳をとり、死ぬ。死んだら終わり。

 

では、本当の満足って何なの?

 

役割を全うすること。それがその答えだ。

 

永遠の役割のことを、サンスクリット語で、サナータナ・ダルマと言う。

 

Yogaの学びは、このサナータナ・ダルマを知ること。

 

知ってそれを全うすることが、人間の本当の義務なのだ。

 

宗教は、サナータナ・ダルマではない。

 

信じること、信仰心は素晴らしいことなのだが、Yoga哲学はそれを超えたところにある。

 

義務から離れた時、私たちにはたくさんの苦しみと迷いがやってくる。

 

でも、義務を思い出し、それを全うしようとすると、安心と幸せがやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の本質

  • 2019.09.07 Saturday
  • 20:35

 

先日、愛するための練習を始めようと書いた。

 

人の性質は、本当は「仕える」ことだと経典に書かれている。

 

仕えるっていうと奴隷とか、召使とか、そういうものを想像するかもしれないが、

 

ちょっと待って。考えてみよう。

 

社会の中では、多くの人々は、誰かに仕えている。

 

自分の夫、妻、子供、両親、上司や、会社や、仕事を通して社会の人に、仕えている。

 

「仕事」という言葉には、仕えるという字が入っている。

 

そう。仕えることが私たちの役目であり、本来持っている性質とフィットする訳で、

 

どこかで、誰かと繋がり、関係を築くから私たちは安心できるし、そこに足場を

 

作ることができるのだ。

 

「私は一人で仕事してる」

 

「私は引きこもってます」

 

という人であっても、一人で生きているのではないことはわかるだろうか。

 

仕事はどこかに相手があって、お金や食べ物をくれる人がいるから成立する。

 

引きこもっていても、食べ物を食べているわけで、自分で畑を耕したり魚を捕って

 

食べている人以外は、誰かが作った食べ物を得て食べている。

 

その意味で、完全に一人で生きている人は、あまりいないだろう。

 

絶海の孤島で、通信機器もなく、無期限で誰とも話さずに生きることになった場合、人間は

 

気が狂ってしまうという。

 

人間は、誰かにつながって、初めて存在できると言って良い。

 

それは、人間には何よりも愛が必要だからなのだ。

 

 

若いうちは体も元気で、自分で何でもやれると思っている。

 

一人で生きていると思っている人もいる。

 

でも、年老いて、周りに一人も愛してくれる人がいない状況になったことを

 

考えてみてほしい。

 

知らない人や、他人に親切にすることももちろん大事なのだけど、

 

まずは自分の周りの人に愛を配ってみる。

 

仕えることの根本は、無欲で愛することなのだ。

 

そこから始まる。

 

 

 

 

愛のタネ

  • 2019.09.06 Friday
  • 19:50

 

愛は根元の女神から来ると言われる。

 

人を許し、抱擁する深い愛を持つ女神様だ。

 

今日は女神、ラーダー・ラーニーの生誕日でとても吉兆な日。

 

 

人間は愛がないと生きていけないのに、愛をもらえずに育った人は、

 

愛を知らない。

 

愛に飢えたまま大人になると、自己肯定感が低くなってしまう。

 

自分を肯定するために、資格を取りまくったり、目的のないお金を稼ぎまくったり、

 

愛されていると感じたいから、身体を売ったり、ちょっと優しくされると

 

良い人だと思って騙されたりする。

 

それでも自分が良ければいいんじゃない?と思うかもしれないが、

 

それはとても苦しいことだということに気づいた方が良い。

 

心が満たされるまで、エンドレスにそれが続く。

 

喉が渇いている時、お腹が空いている時、何でもいいから飲みたい、食べたいと思う。

 

そこには本能が働いている。

 

愛を求めることは、人間の本質的なものなのだ。

 

 

では、愛を知らない人は一体どうすれば良いのだろう?

 

もちろん、信じられる人から愛してもらえたら良いのだけれど、

 

それだけでもうまくいかない。愛を失った時、またお腹のすいた状態に戻ってしまう。

 

まず練習をするのだ。

 

自分が愛するのだ。

 

他人を愛することからしか、本物の愛は生まれてこない。

 

でも、愛することがわからないのに、どうやって?

 

 

野球が初めてなのに、最初から140km/hの速球を打ったり、捕ったりできるかと

 

いうと・・・・・無理だ。(^^;)

 

だから、キャッチボールから始める。目を慣らすのだ。

 

ゆっくり、下手でも良いから球を投げるのだ。

 

そして、相手がゆっくり投げ返してくれるのを待つのだ。

 

焦らずに続ける。

 

投げ返してくれないからと、こっちからどんどん投げ続けたら、相手は引いてしまう。

 

時には相手のコンディションが悪くて、返ってこないこともあるかもしれない。

 

そこから相手への思いやりが生まれる。

 

そこで執着しないことだ。

 

自分がしたことに執着すると、苦しくなる。

 

あくまでも相手の立場で考える。

 

何かの事情があるんだと、割り切る。

 

そして、いろんな人にボールをちっちゃく投げ続けてみよう。

 

そうしてるうちに、返ってくるボールがある。

 

そのボールが速くなったり、頻繁になったり、曲がったりと、変化が生まれてくる。

 

人にボールを投げることが、愛のタネになる。

 

愛のタネを蒔き続けるのだ。

 

そのタネは、もしかして芽吹かないこともあるかもしれない。

 

それでも、あなたがタネを蒔いてることをラーダーラーニーは知っている。

 

でも、いつか必ず心の中に、あっ、これかと思う感情に気づく時がくる。

 

じんわり、ポッとする感情が来たら、それを大切にしよう。

 

それが来るまで続けることが大事。

 

 

 

 

 

ラーダースタミの日に。

 

 

 

 

 

 

すぐ行動すると

  • 2019.09.05 Thursday
  • 18:41

 

仕事のできる人は、「すぐやる」。

 

グズグズ先延ばしにしない。

 

ここでは、わかりやすく、「仕事ができる」と書いたけど、

 

すぐやる人の特徴として

 

仕事ができる、家がキレイ、頭の回転が速い、結果お金も入ってくる   

 

・・・と他にも、すぐやることの効果は色々ある。

 

え〜。私はすぐできません。だから自分はダメな人だと思わないでね。

 

すぐやると良いことのメリットを知れば、多少でも努力したくなるので。

 

まず、やらなければならないことができたとする。

 

先延ばし癖のある(私のような (^^;)人は、

 

「面倒だなあ、やだなあ」(心の声)と思う。

 

そして、これを放っておいて、観察すると、この心の声が増大してくることに気づく。

 

もちろんやらなければならないことの性質にもよるのだが、例えば人に頼まれたこと

 

などだと、日が経つにつれて、「どうして私なんだろう?」「○さんが自分でやればいいのに」

 

「道具がなかった。買いに行かなければならない。どうしてコレのためにわざわざ

 

道具まで買わなければならないのだろう」「コレのために時間が取られる」

 

・・・・と、どんどん心の声が膨らんで、まさに針小棒大になってくる。

 

やってみると大したことではなかったりするのに、後回しにすればするほど、

 

心の中で、どえらい大ごとに育っていく。

 

 

観察していると、すぐやる人たちは、脊椎反射的に仕事をしてしまう。

 

心の声が生まれる間も無く片付けてしまうので、抱えてしまうことがないのだ。

 

簡単に書いてるけれど、実は、この心の声が私たちを苦しめているのだ。

 

だから、考えるよりも生むが易し。

 

考える前に手を付けることが、私たちを頭の中のゴチャゴチャから解放し、

 

さらに、「今日もできなかった」などという自己否定を防ぐ。

 

もし出来たら、自分を褒めてあげよう。

 

「今までは出来なかった。でも今日は頑張れた」

 

小さな成功体験を積み重ね、それを使って自分を肯定してあげるチャンスを増やすのだ。

 

これはすごく大事なこと。

 

心のおしゃべり、頭の中のゴチャゴチャから自由になれないと、

 

人は苦しむことになる。

 

この頭の中のゴチャゴチャ、考えの多さはうつ病の原因にもなってしまう。

 

わかっててもできませんという人、Yogaに来てください。

 

Yogaはきっと、あなたを救ってくれる。

 

すぐやらない癖からも解放してくれる。

 

あなたがYogaを知り、謙虚にその恩恵を受け止めた時、

 

その懐の深さ、自由さ、自浄する力を与えてくれるパワーに感動するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は身近なところから

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 23:00

 

今日も良い日だった。

 

朝、練習に行って、キルタンで泣いて、先生の優しさにジンと来て、

 

練習仲間と笑って。

 

その後、同じ哲学を学ぶ仲間の一人と会って、その純粋さに泣かされた。

 

私などの話を良い話だと言って、泣いてくれた。

 

自分がどんだけ何もできない人間かと、いつも思う。

 

でも、一つだけ人の役に立つとしたら、私のような者が、人を励ますことも

 

できるということだけだ。

 

修練しよう。学ぼう。何か人の役に立つことを得られるように。

 

帰ってから一生懸命お祈りしてたら、また泣けてきた。

 

みんな一生懸命生きてるんだなあと思うと、優しい気持ちになる。

 

 

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純粋な人ほど、スピリチュアルなヴィジョンを持てるようになる。

 

そして、物質界から脱出したくなる。

 

「スピリチュアル?何言っちゃってんの?」(笑)という人に

 

否定されると、辛くなって、その人たちを遠ざけたくなるのだ。

 

でも、そうじゃないのだ。

 

たまたまそうなった人と、そうじゃない人。

 

違う人間ではないのだ。気づくか気づかないかだけ。

 

良い環境は大事だけど、物質的な中でYogaを学んでいくことの方がずっと難しい。

 

人と人の付き合い、特に一番身近な人との関係をちゃんと大事にして、

 

愛を育んでいくことも、素晴らしいYogaの修行なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人との関係は、まず向き合うことから

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 18:49

 

自分の世界に入ること、それは一人きりになるということ。

 

私の元英語の先生は、空手をやっていて、礼儀作法に厳しい人だった。

 

彼女はピラティスも教えていたので、ある日私はそのクラスに参加した。

 

スタジオで待っていると、次々に人が入ってくる。

 

先に来ていた私は、その人たちに「こんにちは」と声をかけるのだが、

 

挨拶をしない人もいた。

 

すると、先生は「どうして、リエが挨拶しているのに、無視するのか?」と

 

怒った。

 

日本人はシャイな人が多くて、知らない人とは会話しないことにしている?人もいる。

 

それを咎めるつもりはないのだけど、「自分の世界」に入りがちな人は、

 

人に向き合うことを面倒だと思いがちだと思う。

 

 

前に書いたが、私は昔、人にいい顔する人だった。

 

疲れていたり、面倒だなと思っても、人と接する時にはよそ行きの顔を作った。

 

それが良いか悪いかは別にして、人に親切に接することは大切なことだ。

 

ただ、そこには無理があった。

 

例えば、心の中では、「今急いでるんだけどな、こんな話聞きたくないんだけどな」と思ってる。

 

だから、とても疲れてしまう。

 

自分が嘘ついてるような、偽善者のような気にもなる。

 

だからと言って、「つまんない」という心を優先し、目をそらして相手と向き合わないのは

 

違う。

 

自分に正直でありながら、でも相手と向き合うにはどうすれば良いのか。

 

本当に相手と向き合うつもりならば、しっかり相手の目を見て、「話を聞く」ことなのだ。

 

その場、その時間を相手と共有する。他のことを考えない。

 

それは相手の中に神様を見るということ。

 

それを惜しむくらいなら、「今、ちょっとやることあるから、すみません」と

 

去ることの方が、相手にも自分にも正直だ。

 

言葉が右耳から入って、左耳から出て行くような対応をしない。

 

ジャッジやバイアスをかけずに、相手の話をちゃんと聞くと、どんな話でも面白いのだ。

 

生徒さんで、何度も同じことをおっしゃる高齢の方がいらっしゃるのだが、ちゃんと

 

聞くと、同じ言葉の中に、本当は何を言いたいかが見えてきたりする。

 

 

私はスポーツクラブで長年働いてきたが、お客さんの言うことを(特に高齢の方)

 

「はいはい、そうですね」と適当に受け流しているスタッフの態度には

 

(またか・・・)という奢った心が見えることがある。

 

上から目線なのだ。

 

 

人とともにいる時、(無理をすると嘘が生まれるので、無理をしてはいけないが)

 

目の前の相手に自分が何をしてあげられるかを考えよう。

 

そして相手から自分が受け取ったことに、感謝をしよう。最初は形だけでも良い。

 

そのうちそれが当たり前になってくる。

 

その習慣はいつもやっていないと、とっさの時に出てこない。

 

貰うばかりでは、感謝する心は育たない。

 

でも、いつも全てのことに感謝できるようになると、幸せがやってくるなと思ってる。