日記 スタジオ1年

  • 2019.06.15 Saturday
  • 23:58

 

明日はスタジオの1周年記念のプージャ。

 

インドの寺院でも何かのお祝いや記念などがあると行う儀式で、参加すると

 

とても吉兆なことがやってくると言われている。

 

えっと驚くような方が参加すると言ってくださったりで、毎日嬉しい驚きで

 

いっぱいだ。

 

そういえば、インドではお葬式でもなんでも、吉兆な場所にはヴァイシュナヴァと

 

言われるブラフマナの方々が集まってくるそうで、さらにその場所が

 

浄化されて吉兆になっていくと師匠が言われていた。

 

素晴らしいことだ。

 

お葬式が吉兆になるというと、不思議に思われるかもしれないのだが、

 

インドでは死は悲しいことではなく、その人の肉体が滅びただけで、この世を全うした

 

お祝い?のように捉えられているそうだ。

 

だからたくさんの食事が振る舞われ、とても明るい雰囲気でお葬式が行われるのだそうだ。

 

もちろん、別れは悲しいと思うけれど、悲しいだけのお葬式じゃない方が絶対いい。

 

 

話は戻るけど、スタジオがオープンして、まだ1年しか経ってないとは思えない心境。

 

皆さんに来ていただき、本当にありがたいことだ。

 

生徒の皆様、もちろん、バレエクラスの方も、ヨガクラスの方も、ここに来たら

 

心が解放されて幸せになると思ってもらえるように、頑張っていきます。

日記

  • 2019.06.14 Friday
  • 11:57

 

先日、Yogaクラスの後にみんなで喋っていた。

 

自分の思考のパターンに気づかなくて、堂々めぐりをしている方がいて、先生が

 

その暗いトンネルから出られるように、言葉をかけていた。

 

 

身体の癖と同じように、考え方の癖がある。

 

誰でもそれを持っている。それは生まれながらにしてあるもので、それに気づかないと、

 

それが正しく、それが全てと思っているので、新しい考えを受け入れることが難しかったり、

 

冒頭の方のように、ぐるぐる同じところを回って苦しいパターンから抜け出せなくなって

 

いたりする。

 

身体の癖は、例えば私のことを話すと、痛みに極度に弱く(と思い込んでいる^^;)

 

何に対しても怖さを感じて生きてきたので、常に緊張して身体が硬くなってしまっていると

 

いうように、生まれ持った骨格や筋肉とあいまって性格や性質も影響し、そのパターンに

 

入っている。

 

それに気づかず、一生を送る人もいると思う。

 

それと同じように、思考のパターンも、無意識のうちに「そう考えてしまう」傾向なのだ。

 

生まれつきの性格や性質、生い立ちに影響されてそうなっているわけだ。

 

 

冒頭の方は、まずは外側から行動を変えてみたそうだ。

 

いつものパターンを崩し、新しい行動を取った。

 

いつもの自分と違うことを、先生のアドバイスに従ってやってみた。

 

食べ物をアーユルヴェーダに従って変えてみたり、喋らない性質をできるだけ

 

喋るようにとか、内側に溜めないで出していくようなこと。

 

すると、1週間後、顔がすっかり明るくなっていた。

 

これにはビックリした。

 

 

何かに悩んでいたり、苦しみの中にいる時に、まずは自分のパターンに気づくことが

 

大事なのだ。

 

 

 

 

日記 何のために祈り、行動するか

  • 2019.06.13 Thursday
  • 23:52

 

スピリチュアルブームと言われて、はや何年も経つという。

 

スピリチュアルって、「魂的な」「魂の」「精神的な」という意味なのに、

 

何でもかんでも目に見えないものや、占い、怪しげなものを「スピリチュアル」と名打って

 

いるのは、お金儲けも絡んでいるからだと思う。

 

物質的なこの世界で、幸運を運んでくれそうな何かに頼るというのは

 

悪い考えではない。

 

ただ、そこで何に頼るのか?

 

また、何を願うのか?

 

それが最も大切だ。

 

例えば、お金持ちになりたいと思って、スピリチュアルといわれるものに願ったとする。

 

でも、その結果得たお金を、自分の欲のために使うのなら、

 

それはスピリチュアルと言いながら、物質的な結果を求めていることになる。

 

そもそも、そこが矛盾しているし、それは後から、よくない反動を生む。

 

 

じゃあどうすればいいのか?

 

純粋な愛のある願いを持ち、その想いを持って純粋な魂のために祈る。

 

そして常に愛ある言動、行動をすることこそが、スピリチュアルな活動なのだ。

 

純粋な魂・・・それは私たちの内側に、必ずある。

 

それは声を発さないけれど、それを常に感じる練習をするのがYogaなのだ。

 

 

 

 

 

 

日記 押し付けはダメ

  • 2019.06.12 Wednesday
  • 18:18

 

今までも何度も言い方を変えて書いているが、相手に寄り添うこととは、自分が良いと

 

思うことを相手に押し付けることではない。

 

・・・と書いている自分が、ずっと間違ってきたからそう思える。

 

例えば、Yogaだって、教える人によって全然違う。

 

良かれと思ってやったアーサナが受けてる方にはキツすぎたり、良いと思ってやってるのに

 

呼吸法の時間に安楽座で長時間座っていることが辛くて、生徒さんが嫌になってしまったり。

 

私が本物のYogaを初めて習った時は、やっぱり安楽座で死ぬかと思うくらい(笑)

 

股関節が痛くて、毎回集中するどころではなかった。

 

頭の中は「早く終わらないかなあ」で一杯だった。

 

(でも、私の良いところは、この痛い股関節をどうすれば痛くなくできるか?と

 

考えられたところだ。それがあったから、前向きになれて、続けられた。)

 

 

良いと思ったことを相手に伝えようとすることは悪いことではない。

 

そこで、相手の気持ちをもっと考えることが必要なのだ。

 

アーサナの軽減法を考えたり、プロップス(ブロックやブランケット)を使って

 

心地よい座り方に補正するなどだ。

 

Yogaティーチャーが陥りやすいのが、この辺なのかもしれない。

 

上から目線にならないことがとても大事だ。

 

特に人気者の先生は要注意だ。

 

Yogaティーチャーは、先生という名前がついているけれど、生徒に仕える人に

 

ならないといけない。

 

 

私のアーサナの先生は、もう、本当に毎回その優しさに感動させられる。

 

私はいつも先生から、その優しさの質を少しでも頂こうと思っている。

 

Yogaだけではなく、生活の全てに、寄り添う優しさは必要だ。

 

私のようなうっかり者は、いつもそう想い続けてないといけないなあと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 Yogaのすごさ

  • 2019.06.11 Tuesday
  • 16:53

 

ほとんど休まず私のクラスに来てくださっている生徒さんが、

 

色々な話をシェアしてくださった。

 

一人の方はMRIやCTなどの狭いところに入るのが苦手なのに、その時は歯科の治療だったので、

 

口の中に何かの機械をはめ込まれ、MRIの装置に入れられ、パニックを起こしそうになったとのこと。

 

そこで、「あ、そうだYogaだ」と思い、

 

呼吸をしながら頭の中で太陽礼拝をしたそうだ。(すごい!!)

 

するとすごく落ち着いて、最後までパニックにならずに検査を終えられたそうだ。

 

あとは、歯科の治療中にマントラを唱えると落ち着く、と言ってらした。

 

クラスの時にマントラを唱えるけれど、特に日常唱えると良いなどとは言ってなかったのだ。

 

(スポーツクラブなので、あまり強いYoga色を出せない為)

 

それなのに、そうやってマントラを唱えていたのだなあと思うと、マントラの威力は

 

すごいと改めて思う。

 

なんかもう、色々考えるよりも唱えてみてほしいと思うのです。

 

Yogaは私なんかが思ってるよりも、ずっとすごいものなのだと思った出来事。

 

 

 

日記 うまく行っている時は注意する

  • 2019.06.10 Monday
  • 17:20

 

常に「自分意識でない」状態にするのは難しい。

 

特に、うまく行き過ぎている時。

 

うまくいってる時は、順風満帆なのは「自分が」頑張ってる結果だとか、

 

「自分が」素晴らしいと思って、高慢な気持ちになりがちだ。

 

私も時々そうなって、周囲のことに気を配るのを怠っていたと気づくことがある。

 

(うまく行ってない時、人は、どうして「自分が」こんな目に会うのかと

 

思い、他人を恨んだり、運命を呪ったりする。)

 

その時、どういう風に考えれば良いのかというと、すべては自分の力で

 

そうなっているのではないと考えることだ。

 

委ねているから、問題なく運ばれる。

 

自分の力ではなく、助けがあるからそうさせて頂けているのだという謙虚な気持ちを

 

保つことだ。

 

そこには穏やかな喜びが自然にやってくる。

 

 

日記 不動の教え

  • 2019.06.10 Monday
  • 00:08

 

今日はバガヴァッド・ギーターの補講だった。

 

バガヴァッド・ギーターとは、ヴェーダと呼ばれるインド哲学の経典で、

 

18章800節でできている詩。

 

人生のすべての疑問に答える真理が、ぎゅーっと、この本の中の一節一節に濃縮されている。

 

学び始めた頃より、何度も読み返すうちにその素晴らしさがもっと深くわかるように

 

なってきた。

 

この珠玉の本は、言葉を読むだけでは理解が難しい。

 

それを正しく読み解くには、この経典に従っている師から学ばなければならない。

 

そして、何よりも学んだことをちゃんと実生活に生かしていかなければ、本当の理解は

 

得られない。

 

判断に迷う時、この本に従って答えを導き出すと、本当に正しいのは何なのかと

 

いうことがわかる。

 

何千年もの太古の昔から伝わる、動かない真理。

 

インドではそれを現代でも、多くの人が学んで、それを生活の基礎にしているということに

 

驚く。

 

バガヴァッド・ギーターは、今は多くの言葉に翻訳されて、世界中で読まれている。

 

本物は不動。

 

本物は何にも影響されない。

 

そんな素晴らしい教えがこの世にはある。

 

 

 

 

 

 

 

日記 自分の持ってるものを認める

  • 2019.06.08 Saturday
  • 19:53

 

昨日の続き

 

自分を大切にできない人は、人も大切にできない、と言うのは本当だ。

 

ここで言う「大切にする」というのは、昨日も書いた通り、自分のエゴを育てることでは

 

当然ない。

 

ただ、今の自分の内側をちゃんと認めてあげることなのだ。

 

それは、矯正することでもなければ、正しい方向に行かなければならないと思うことでもない。

 

私たちは、すぐに他人と自分を比べてしまう。

 

また、頭の中に理想像を作って(その理想像も、外の情報からやってくる)そこに

 

自分を合わせようとし、合わなければ自分はダメだと思って苦しむ。

 

そうやって生きていたら、いつまでたっても幸せにはならない。

 

必要なものは全て与えられている。

 

たとえそれが、人と比べた場合に物質的な視点で見たら「劣っている」とされていることでもだ。

 

それは本当は「劣っている」のではない。

 

ギフトなのだ。

 

はじめから全てを持っている人が気づけないことを、気づかせてもらえる。

 

それがスピリチュアルなギフトだ。

 

持ってないからこそ、人の気持ちがわかったりもする。

 

持ってないからこそ、今持っているものをフルに使おうと思える。

 

昔の私は、いつも自分で自分を貶めていた。何も持ってないと思っていた。

そんな自分が人のために沢山できることがあると気付いた時、

聖地に行くことができた。

 

日記 本当の自我

  • 2019.06.07 Friday
  • 19:03

 

私たちの多くが、「自分」「自分」という意識で生きている。

 

それがたくさんの問題を生んでいる。

 

自分とは一体誰なんだろう?

 

では、「自分」意識でないとは、どういう状態なんだろう?

 

自分意識とは、つまりエゴのことだ。

 

ちなみに、英語ではegoと書き、「イィーゴ」のように発音する。

 

自分が主人公、自分が王様、女王様・・・というような考え方だ。

 

赤ちゃんは親に頼って生きていて、親の庇護がなければ死んでしまう。

 

だけど、少しずつ育ってきて知恵がついてくると、ここで自我が芽生えてくる。

 

親離れする、つまり自分一人で生きていくために、親という内界から独立し、

 

外界へ向かっていこうとするのだ。

 

しかし、実は、私たちは一人で生きられると思っても、一人では生きていけないのだ。

 

特に、若いうちは良くても、年をとって体が弱ってきているのに、誰とも繋がりを

 

持っていないと感じた時、その孤立感、絶望感は想像するのも恐ろしいものだと思う。

 

人は必ず、意識していなくても、愛を必要とする生き物なのだ。

 

愛なんてと言っている人の行動を見ていると、悲しいくらい愛を欲していることがわかる。

 

エゴを捨て、愛する練習をした方が良い。

 

それは、まず自分を愛することから始めなければならない。

 

そう聞くと、え?それじゃエゴを育てるんじゃないの?と思うかもしれない。

 

いえいえ。違う。愛するのは、エゴ(偽の自分)ではなく、本当の自分だ。

 

自分を愛するためには、全力で自分の中をキレイにすることだ。

 

自分を否定したり、傷つけず、自分の役割を見つけ、一生懸命それを続けることで、

 

そこに確かなものを築いていくことだ。そうすると本当の自分が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 恨み、憎しみをどうしていくか

  • 2019.06.06 Thursday
  • 23:40

 

昨日の続き。

 

外国の話だけれど、自分の子供を殺された夫婦がいたそうだ。

 

もちろん、当初は殺した犯人を恨み、殺したいほどの憎悪を抱いていた。

 

しかし、犯人の生い立ちなどを知り、何年も経つうちに犯人を許す心情になったという。

 

奇跡のようなことだけど、そこには「神様がそうさせた」と言う心情があった。

 

そして、その夫婦は同じような犯罪を犯す人が生まれない社会作りに貢献しようと

 

憎しみの心を、社会の中の虐げられた人たちへの奉仕という愛に変え、一生をそれに捧げた。

 

 

 

身内を殺された人の気持ちは、同じ状況におかれた人にしか本当のことはわからない。

 

だから軽々しくそのことについてのコメントは言うべきではない。

 

その苦しみがいかほどのものかと思うからだ。

 

しかし、恐らくだけれど、犯人を裁判で極刑に追い詰め、仇を取ったという気持ちに

 

なったとしても、その苦しみは終わらないと思う。

 

一生を恨みと憎しみに費やし、苦しむのかと考えると、結局人を許すという行為は

 

自分にとっても大きな価値があると言えるのではないかと、このエピソードから

 

思った。

 

 

私たちにも、殺人とまでいかなくても、日常的に、人に恨みを抱くことは

 

起こり得る。

 

特に自分が悪くないと思っているのに、理不尽なことが降りかかった時だ。

 

その時、その恨み憎しみをどう扱って行くかで、その後が変わって行く。