日記 春の祝い

  • 2019.03.22 Friday
  • 15:00

 

すごく温かくなりましたね。

 

昨日の春分の日は、インドの大聖者、チャイタンニャ・マハープラブの降誕祭だった。

 

チャイタンニャは月の登る時刻に生まれたとされるので、それに合わせ、夕刻、東京でも

 

フェスティバルがあった。

 

大勢の方が集まって、キールタンを歌いながらプージャというお祝いをした。

 

私も少し歌わせて頂いたが、みんなで声を合わせていると、本当に幸せな気持ちに

 

なってくる。

 

そして、関わっている人すべてが、まるで自分の家族のようだと感じられる。

 

もちろん、私にとっては、生徒さんたちも。

 

ある人が、周りの人が全員自分の家族だと思えば、例えば、

 

ちょっと癖があったり、多少気が合わなかったりする人だとしても、

 

我慢して、うまくやって行けるという事を言っていた。

 

我慢するほどの人だと、やっぱり大変だとは思うけど、

 

その人は、本当にあらゆる人と接する仕事なので、その中で、どうすれば

 

人とうまくやって行けるかということを身につけてきたのだ。

 

こういう強い言葉だけど、要は、家族だったら、ちょっと合わなくても「仕方ないよね」と

 

思えるということを言いたいのだと思う。

 

人の欠点が気になることは誰しもあると思う。だけど、欠点は、自分にもあると思った方が良い。

 

 

インド哲学では、生命体はすべて、魂とされる。

 

大きな根源の魂とつながる兄弟姉妹。

 

だとしたら、本当に家族なのだから、お互いの足を引っ張ったり、欠点を探すのではなく、

 

良いところを探し、助け合って行くべきじゃないかと思う。

 

 

昨日は本当に愛に溢れた会にいさせてもらい、心から嬉しかったし、

 

この愛を色んな人に配って生きたいなあと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 ハートの曇り

  • 2019.03.20 Wednesday
  • 13:27

 

口で「ありがとう」と言う。

 

当たり前のように言う。

 

それは、して頂いて、「有難い」ことへの感謝。

 

だから、どんな人に言う時でも、出来るだけ気持ちを込めて、口先だけにならないように

 

したいと、思っている。

 

もし人に感謝できない自分だったら、ちょっと立ち止まってみよう。

 

何かが、ハートを曇らせている。

 

素直になれない自分に気づけるチャンス。

 

 

もひとつ。

 

人の幸福を喜べない時も、何かが起こってる。

 

「自分だけがなぜ不幸なのか」という気持ちになっている。

 

そういう時、無理に喜んだふりをしたり、喜べない自分を責めないで欲しい。

 

今は気づいて、自分を癒してあげて。

 

 

 

人の不幸を喜ぶ人は、だいぶ病んでいるかもしれない。

 

本当の自分はそうじゃないのに、心が病んでる。

 

病を治すには、ハートにきれいな水を注ぎ込み続けること。

 

それしかない。

 

 

 

 

 

 

日記 学んだことを自分のものにする

  • 2019.03.19 Tuesday
  • 07:29

 

ギヤーナとは、サンスクリット語で知識のこと。

 

ギヤーナ・Yogaというのは、知識のYogaだ。

 

・・・・と、私はYogaのティーチャーズトレーニングで習ったのだが、

 

知識とは、もちろん、この物質世界の知識ではない。

 

Yogaのスピリチュアルな知識のことだ。

 

もちろん知識は大切なのだが、それが、単なる知識で終わってしまう人も多いのだ。

 

その知識を使って何をするのか、というところが一番大事。

 

Yogaを学んでいても、すごい知識を持っていても、言ってることと行為が一致して

 

ないよねーという方は多い。あれはあれ、それはそれ、となってしまっているのか。

 

知っているだけで、使わなければ学んだ意味もないし、間違った使い方をして、

 

エゴを育て、害になることさえある。

 

 

その使い方だけど、

 

自分も含めだけど、常に、これはYogaになってるか?と思いながら過ごしていかないと

 

いけないと思う。(Yogaとは、ユジュ(つなぐ)という言葉が語源。

 

私たち小さな魂を、私たちを生かしてくれている存在とつなぐ、という意味)

 

何かモヤモヤしたりザワザワした違和感がある時、それはフローに乗ってなくて、

 

物質的になっていることが多い。よく観察すると、そういう時は、内側(意図)と

 

外側(行為)が食い違っていたりする。

 

そういう時は、ちょっと立ち止まって見たほうがいい。

 

 

学んだ知識を日常の中で、「あ!これのことかも」と感じて、自分のものにしていくと、

 

それは知識から知性に変わる。

 

純粋な意識は知性から生まれる。

 

その意識が行動と一致している時、そこに苦しみはないけれど、

 

偽の自我(エゴ)に行動させられている時、私たちは不幸になる。

 

それを知性を使って、俯瞰できるようにすることだ。

 

 

 

日記 気づく力

  • 2019.03.18 Monday
  • 23:22

 

今、めちゃくちゃ物質的な問題を抱えているので、脳がめちゃめちゃ

 

物質的な状態になっている。それがわかるようになっただけ、自分はちょっとマシに

 

なったのかもしれない。

 

私は、もとはすごく物質的に生きてきたので、Yogaの繊細さに気づけないでいた。

 

物質的な人は、物質的な殻に包まれてしまっていて、外が見えないのだと思う。

 

Yogaは見えないものを感じる力を養う。

 

例えば、人の想いや、温かさを見過ごすことなく、感じることができるようになると、

 

感謝の心が湧いてくる。

 

私は「周りに支えられていることに感謝しましょう」と、クラスの中で言うけれど、

 

何を隠そう、昔の私はその意味を本当にはわかってなかった人だった。

 

無理に感謝しようとしても、それは嘘になる。

 

上部だけになってしまう。

 

でも、わからないんです〜と言う人は、それで、自分をダメと思う必要はない。

 

今は、そういう自分なのだと認め、騙されたと思って、ただマントラを毎日唱えてみてほしい。

 

それだけで、変わった人がたくさんいる。

 

マントラ唱えてて涙が出る時がある。それは、自分の汚れに気づいたり、人の愛に

 

気づけなかった自分が恥ずかしく感じたりするからだ。

 

その時、何かが変わっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

  • 2019.03.16 Saturday
  • 23:31

 

人を驚かすようなことを言わなくても、

 

人を感動させられなくても、

 

いいのです。

 

自分ができることを、ただ一生懸命やっていれば。

 

人は見ていなくても、神様は見ている。

 

 

私は縁の下の力持ち、黒子、ただ寄り添う人。

 

人を喜ばせ、神様を喜ばせる人。

 

そうなろうと思ってます。

 

 

日記 インド

  • 2019.03.15 Friday
  • 17:08

 

たかのてるこ という人をご存知の方もいらっしゃると思うが、

 

実は私のいとこです。

 

てるこがOL時代、初海外旅行である香港を皮切りに、インドに渡った時の体験記を

 

書いた「ガンジス河でバタフライ」をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

 

その後、「モロッコでラマダーン」とか、「ダライ・ラマに恋をして」「モンキームーンの

 

輝く夜に」など、続々とたくさんの旅行記を出し続けている。

 

テレビなどメディアにも出ていて、その体当たり的パワーと、ピュアさ、オープン

 

マインドな性格がたくさんの方を惹きつけている。

 

私はてるこには、小さい頃に会ったきりなのだが、たくさんある著作の中でも、

 

「ガンジス河でバタフライ」は、私の中に何かを呼び覚ました本でもある。

 

この本だけは、2度と書けないだろうなという、20代の頃のてるこの、本当に新鮮な

 

感覚と驚きに満ちていて、さらに、初めて書いた旅行記だからこその

 

(書いた時は本になると思ってなかったらしい。だいぶん経ってから本になった)

 

初々しさは、読むたびに、人間って素晴らしいなと思わされる。

 

私が初めてインドに行こうと思ったのは、この本があったことも一つのキッカケになった。

 

初めて行ったインド。その頃は私はYogaというものをちゃんと学んでいなかったので、

 

イギリスの植民地だった名残のカーストを誤解したり、どうして最新式テクノロジーと

 

極貧が同居するのか?と疑問を抱いたりした。

 

でも、全般的にインドは人々が素晴らしかった。もちろん悪いことをする人もいたが

 

それは貧しさから来ているもので、生きるために仕方なくスリ、盗み、嘘をついて

 

お金を何とか得ようとしているのだと感じた。

 

誤解を招く言い方かもしれないが、仕方ない犯罪というのだろうか。

 

日本でよくあるような、ねじ曲がった心から来る犯罪とは、同じ犯罪という名はついても

 

質が全然違っているように思えた。

 

 

今、てるこは命というものは何なのかと思い、その不思議さ、大切さを子供達に伝えるように

 

小さな冊子を作り、配っているようだ。

 

 

うちの母経由で、それが私の手元に来た。

 

私も命というものに対し、今すごく勉強させてもらっている。

 

インドにただ行く。でも、それは呼ばれているということなのだと思う。

 

その時は何も感じていなくても、何十年経った後で芽を出す人を大勢見ている。

 

それは、インドが魂の故郷の入り口だからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 揺るがない哲学があればこそ

  • 2019.03.14 Thursday
  • 17:25

 

Yoga哲学と宗教って何が違うの?

 

 

哲学は、宗教の根源にあるべきものなのだ。

 

だから、哲学に基づいてない宗教はただの盲信になってしまう。

 

「うちの宗教の教えは正しくて、あっちの宗教は間違ってる」となりやすい。

 

この広い地球上には、たくさんの哲学があるけれど、なんのためにあるかというと、

 

究極的には人が幸せに生きて行くための、決まり、道徳みたいなもの。

 

 

たくさんある哲学の中で、絶対に揺るがない哲学を絶対真理と呼ぶ。

 

絶対真理は、宇宙のモノサシのようなもの。

 

時間、時代、国、宗教、民族などに左右されない絶対的なものじゃなければ、

 

絶対真理とは呼べないわけ。

 

時代が変わって、支配者が変わったら、道徳が変わってしまいました〜というのは、

 

絶対真理ではない。

 

誰もが納得でき、誰もが幸せに向かっていけて、どんな宗教にも関係なく

 

みんながサットヴァ(徳)のある人になっていけるもの・・・・

 

 

となると、自ずと、選ぶべきは絶対真理と呼べる哲学になって行くわけだ。

 

Aさんにとっては正しく、Bさんにとっては不都合、というものだったら、それは

 

モノサシにならない。

 

どうして宗教同士が争って、戦争になるのか?

 

どうして認め合うことができず、人まで殺さなければならないのか?

 

それは哲学がないか、あるいは、あったのにそれを伝えている人が本当の哲学(絶対真理)

 

を教えていないから。

 

数ある哲学の中で、絶対に揺るぐことなく、何万年も受け継がれてきたのがYoga。

 

だから、Yogaは絶対真理と呼べるのだ。

 

だから、何を信じていてもいいけど、そこにYogaをプラスしてほしいと思う。

 

今キリスト教を信じていようと、ヒンドゥー教を信じていようと、神道を

 

信じていようと、仏教を信じていようと。

 

Yogaは、全ての人に役立つ生き方。

 

もしかして、宗教同士の争いも消せるかもしれない教えだと思う。

 

マントラは音の科学 唱えることによって心がスッキリする効果あり

このチャイルドポーズの後に、皆さん唱えるのを楽しみにしてくださっている

 

 

 

 

 

 

日記 感謝を捧げること 2

  • 2019.03.13 Wednesday
  • 15:00

 

自分は自分一人の力で生きている、立っていると、多くの人は思っている。

 

または、忘れている。

 

でも、本当のところ、私たちは「生かされて」いる。

 

解剖学を学ぶほど、体の精密さに驚く。

 

筋肉や骨の構造はもちろん、心臓が動き、必要になれば速く拍動して血流を全身に送ることや、

 

呼吸をし、酸素を全身に送り、ガス交換し、二酸化炭素を吐き出すこと。

 

生きているということ、それは奇跡のようなことと思う。

 

もし、神様を信じないという人がいても、この身体を頂いたことに

 

感謝を捧げることを忘れてはいけないと思うし、感謝することで、謙虚さを思い出せる。

 

 

 

私たちが暮らす中にも、多くの感謝すべきことがある。

 

気づかないだけで、普段当たり前のように生活しているけれど、私たちは

 

人様のお世話になりまくって生きている。

 

結婚している人は、結婚できたことに感謝をしよう。

 

一人で生活するのは楽だ。なぜなら、自分のペースで何でもできるから。

 

でも、家族で暮らすには、人に合わせること、人に尽くすことを学んでいかなければならない。

 

場合によっては、とっても大変かもしれないけれど、必ず忍耐力が養われる。

 

忍耐力のある人は、何でも乗り越えられる。

 

だから自ら苦労をした方が良いと言われるのだ。

 

 

よく「一寸先は闇」と書いている人がいる。病気や事故や、会社の倒産、災害などは

 

突然やって来る。

 

そう。この世では、何が起こるかわからないのだ。自分だけは大丈夫と思っているけれど、

 

この瞬間にだって、何が起こるかということはわからない。

 

究極的には、それに耐えて、乗り越えていくのは自分の心なのだから、その心を強くしなければ

 

ただ「自分は不幸だ」と嘆き悲しむだけになってしまう。

 

心を強く持てると、全ては神様が私たちに何かを学ばせるために運んでくるもの、

 

と思えるようになる。

 

ものすごく大変な目に遭っている方に、この言葉を言っても、入っていかないかもしれない。

 

でもそういう時ほど、「学ばされている」のだ。

 

何の問題もない人よりも、たくさんの慈悲をもらっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 心を静かに

  • 2019.03.12 Tuesday
  • 08:39

 

クラスの中で、呼吸と身体と向き合いながら、今ここにいることを感じてと言っている。


なぜかと言うと、私たちの心はとてもアクティブな性質があって、いつもどこかに向かい

 

たがるからだ。


忙しい毎日を送っている人は、あれもこれもと、色んな must to doを抱えている。


すると、今していることよりも、未来の予定に心が向いてしまう。それは当然だ。


家族のこと、仕事のこと、色々な役回りや責任が自分を縛りつけている。


そうすると、そういうつもりじゃなくても、いつも焦って走っている状態になり、

 

それを片付けた時に感じるひと時の満足感だけが、ご褒美になる。


次々とやってくる、やらなければいけないこと。


たまにサボってみたり、息抜きが必要だと、ものの本などには書いてあるが、

 

根本的に忙しいので、抜本対策にはならない。


私も、会社員時代は、色々工夫していた。


1日一回は空を見る、景色を見る、1人の時間を15分は作って、何も考えないようにする、

 

仕事や義務は自分を成長させてくれるトレーニングと思うようにする…などなど。


でも、根本的には忙しさはなくならない。


それじゃあ、どうすればいいのか。


忙しい忙しいと言う人ほど、頭の中が散らかっている。


どうしてかというと、脳が軽いパニック状態になっているからだ。


実は、することを箇条書きにするだけで、あれ?思ってたよりやること少ないな、

 

と気づくことがある。


だからto doリストを作れと言うのだ。

 

書くことで頭の中も冷静になり、整理して考えられるようになる。

 

忙しいと、脳の中にやること以外のどうでも良い妄想までが飛び回り始める。


ああなったらどうしよう、悪い結果が来るかのように考える。


その妄想エンジンをストップさせる練習が必要だ。


それがYogaで出来る。


今ここにいることに集中できるようになると、不安もなくなり、こんなに楽になるのかと

 

驚かれると思う。


練習して、それが身につくと、完全に生活の質が変わる事が実感できると思う。

 

心を静かにして、内側を見てみよう。

 

それが本当の自分なのだ。

 

本当の自分を知らないで、一生を過ごしますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 本当の自分

  • 2019.03.11 Monday
  • 21:15

 

Yogaのアーサナで、エッジにいる時、ものすごく純粋になって、自分が魂だと

 

感じることがある。

 

エッジというのは、自分をギリギリの刃の上に乗せていること。

 

これ以上頑張ると、呼吸が止まるか、身体が悲鳴をあげてしまうし、

 

自分を甘やかして楽をするのでもない、というギリギリの場所だ。

 

エッジの上では、自分をゴマカすことができなくなる。

 

呼吸と神様以外には、誰にも助けてもらえないし、自分が外からどう見えるかなんて、

 

どうでも良くなっている。

 

すると、自分を縛っている肉体や心から離れて、さらけ出すというか、

 

脱皮するというか、そういう境地になることがある。

 

つまり、過去の記憶や、心に抱えている問題、やらなければいけないことは

 

遠ざかっていき、今、この瞬間にいる、ということがひしひしと感じられる。

 

それが一旦味わえると、私たちは自分の本質が何なのかわかってくる。

 

もちろん、毎日の忙しい生活の中で、たくさん考えなければいけないことや

 

問題と向き合わなければいけないこともあるかもしれないけれど、

 

私たちは、本当は愛と幸せに満ちた存在なのだと気づいているだけで、

 

辛くなくなって行く。

 

バクティーYogaは、全てのYogaに加えなければいけないYogaだなあと

 

思う。

 

Yogaは、アーサナの練習だけではないのだ。