役割を見つけ出すと

  • 2020.03.29 Sunday
  • 18:57

 

「こうしなければならない」という言葉にアレルギーがある人は多いと思います。

 

人から押し付けられるとムッとしたりします。

 

押し付けられること、強制されること、こうあるべきと言われる・・・

 

「常識でしょう」「男らしく」「女らしく」「親として」「人間として」「長として」など

 

自分は言われると不快になるのに、どうして私たちは自分自身にも、人に対しても

 

縛りを作ってしまうのでしょう?

 

そして、「こうあるべき」から外れている自分や人を非難してしまうのです。

 

 

自分と人と比べてしまうのも、同じように、「あの人はこう。私はこう」と、

 

その差を評価しているということです。

 

評価は正しく使えば、良い方向に向かう足がかりになって、ポジティブに

 

頑張っていこうと思えるエネルギーになります。

 

でも、人や自分を色分けすることに使うと、そこに垣根が生まれてしまったり、

 

「自分なんて」というネガティブな感情になり、自分を苦しめることになります。

 

 

どうしたら自分を縛らず、人にも優しくできるのでしょうか?

 

 

私たちは一人ひとり、生まれながらに役割を頂いていると言われます。

 

・・・と言うことは、一人ひとりの存在が大切なものなのですね。

 

神様が、「はい。あなたはこれお願いしますね」

 

「はい。あなたはあれお願いしますね」って言ってくれるところを

 

想像してみてください。

 

学級委員、美化委員、体育委員・・・

 

そういうののもっと細かいやつ同士が関わりあって、この世界ができてる。

 

人によっては大きなことを成し遂げる役割を持っていますし、

 

もしかして一見ネガティブに見えたり、困った存在と思える人も

 

役割を持っています。

 

「自分には役割がない」と思う人もいるかもしれませんが、

 

自分がどう考えようと、必ず役割はあります。

 

それが人間が生まれてきた理由の一つだからです。

 

それに気付ければ、尚一層、幸せに生きていくことができます。

 

ですが、

 

もしそれがわからない場合は、「誰かを助ける」ということをして見てください。

 

他の人がスポットライトを浴びること。

 

それを妬むよりも、助けてあげる役割を自分が担う。

 

すると、スポットライトを浴びてる人と同じくらい、いえ、もっと嬉しくなるのです。

 

みんな自分と同じに、大きかろうが、小さかろうが、役割を果たすために生まれて来ていて、

 

その人たちを自分が微力ながらでも助けていると思えたら、

 

自分や人を評価して比べることに、何も意味はないと思えるのではないでしょうか。

 

今の自分も

 

相手も

 

そういうやつと、ただ丸ごと受け止める。

 

良いも悪いもないってことだと思ってます。

 

 

ウィルスのニュースが毎日外側から押し寄せてますが、

 

そんな中、事象に冷静に対処しながらも、惑わされず、自分の内側にある

 

スピリチュアルな意識を高めるチャンスにしましょう。

 

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

Yogaの先輩がやっている畑に連れて行って頂きました。

土の香り、花の香り、空気の香りが春を感じさせてくれました。

今、ここにいるということを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーサナ練習をどういう意識でするか

  • 2020.03.23 Monday
  • 19:39

 

アーサナの練習をする時、例えばピークポーズで、

 

深いバックベンドのポーズに行くなら、そこまでの道すじをたどって

 

徐々に、徐々に身体を開いていきます。

 

ただバックベンドをたくさんするだけでは、実は深いバックベンドには行けません。

 

どうしてかというと、身体には206個の骨を動かす筋肉が600以上もあって、

 

それが複雑に協働して(助け合って)目的に向かっていくからです。

 

表側と裏側、それを支えてくれてる、有名じゃない小さい筋肉群。

 

それらを十分に働かせられるように、練習をしていきます。

 

身体の一部だけの柔軟性、筋力が高くても、みんなの協力がないと達成できないのです。

 

誰も取りこぼさない。落ちこぼれてたら、硬かったら、動きづらかったら、そこに

 

寄り添うように動いていくことで、無理なく、身体を痛めずにアーサナを取ることが

 

できます。一部の柔らかさだけではなく、力わざではなく、小さい筋肉の声を聞くことで

 

その子も段々と目覚めてくるんだなあと思います。

 

とすると、ピークポーズっていうのは、目標ではあるけど、ただの目標で、

 

実は大切なのは、プロセスなんですね。

 

それを大切にする練習を重ねてると、アーサナは自分のエゴの為にするもんじゃないって

 

ことがわかってきます。

 

「自分の感覚を喜ばせようとする」ためにアーサナをしているのではなく、

 

私たちは身体を制御することで、自分が「こっちに行きたい!」と思う欲も制御してる

 

ってことなんだと思います。

 

自分の欲から離れられると、小さい筋肉たちにも優しくなれます。(^^)

 

 

例えば、親が自分は食べられなくても、子供に美味しいものを食べさせようとします。

 

つまり、自分の欲を抑えてるってことです。

 

アーサナで自分をコントロールする練習をし、欲というモヤモヤした汚れを取っていくと、

 

私たちは謙虚になり、初めて本当に大切なものを感じる力をつけられるのです。

 

そう思って練習してみて下さい。

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時について

  • 2020.03.18 Wednesday
  • 17:32

 

朝の忙しい時間が始まる少し前、うちにあるクリシュナ神とラーダーの像を

 

着替えさせて、ランプ、水、お香、香水を捧げてお祈りします。

 

以前はこのたった10分くらいのことを、億劫に思っていた自分でした。

 

忙しい忙しい忙しい・・・あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと、

 

やることが多い時間の中で、ゆったりお祈りなんてという頭だったからだと

 

思います。

 

 

先日、とても大切な、ヴェーダを学ぶ仲間の一人と会いました。

 

彼女は私などより、ずっと、もっと忙しい方で、それこそ分刻みでスケジュールを

 

こなしている方なのですが、二人で終電近くまで話が盛り上がって、楽しい時を

 

過ごしました。

 

彼女はそんなに忙しいにも関わらず、ゆったりとした時を持っている方です。

 

時・・・雰囲気と言ってもいいかもしれません。

 

 

私は最近気付いたのですが、時間は自分次第で、ゆっくりにも早くもできるということが

 

わかってきました。

 

どういうことかというと、今目の前のことに委ねて、味わっていると

 

その時間は「消費」ではなく、新たに生まれるギフトの時間になるってことです。

 

時間がないない、と思っていると、本当に時間は飛ぶように過ぎてしまいます。

 

そして、気づくと、1日、1週間、1ヶ月、1年、10年があっという間に過ぎる・・・。

 

そんな生き方をしていると、自分は何なのだろう、何のために生きているのだろう?と

 

思ってしまいます。

 

私たちには生きるために、仕事や家族のお世話など、するべきことが山ほどあります。

 

それをやらされている時、時間は消費されます。

 

だけど、1日数分でも、目の前のこと、目の前の人のことだけを考えて尽くす時間を

 

作ってみると、時間は「生まれ」、宝石になります。

 

目の前のこと、人を大切に大切に思って、向き合っている時、そこにネガティブさは

 

やってきません。

 

 

彼女は私のことを大切に大切にしてくれて、私もそう思い、その時を二人で味わったのです。

 

それは宝石のような時になりました。

 

時を宝石にしましょう。

 

仕事でも、他の人と一緒にいる時でも。

 

例え一瞬しか向き合えない時も、そこに集中するのです。

 

向き合えた時、そこに愛が生まれるのだと思います。

 

 

時のことを、カーラと言います。

 

クリシュナ神は、宇宙のあちらこちらに出現しますが、その時間は

 

多次元的だと言います。

 

私たちが思うような「時系列」ではないのです。

 

私たちの過去にも、未来にも現れます。

 

そして、過去は未来であり、未来は過去にもなる。

 

私はイメージの中で何千年も昔に飛んで、クリシュナ神とラーダーに

 

会うことができるし、亡くなった父にも会うことができます。

 

そんな風に、今過ごしている物質的な時間を、ぜひ味わい深いひと時に

 

変えてみてください。

 

ヨーガは、時を大切にする練習にもなります。

 

 

 

自分の家の畑で採れた野菜を持ってきてくれた生徒さんがいました。

大切に育て、摘んだそばから茎を水に浸して、イキイキさせ、

可愛く英字新聞に包んできてくれました。

丁寧に生きてるなあって思います。幸せになりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縛りから自由になっていく道

  • 2020.03.02 Monday
  • 19:16

 

私たちは縛られています。

 

え?どういうこと?・・・今日はそんなお話です。

 

100人の人がいたら、100人違った身体と心があります。

 

身体も心も与えられたものです。

 

私たちは、この身体と心という自分の意思ではどうにもならないものの中に

 

閉じ込められていると言っても良いのです。

 

どんなに気に入らなくても、それがこの世を過ごすための身体なのです。

 

 

私のことをまた話してしまいますが、子供の頃、どうしてこんなに

 

変な顔なの?どうしてプロポーションが悪いの?と悩んでいたことがあります。

 

そう思うなら、心をキレイにしなさい、と親に言われましたが、

 

今思うと、そういう子供にそんなことを言っても、納得しないですよね。

 

キレイになりたいという欲から自由にならなければ。

 

その頃、ヴェーダという教えがあれば、私はかなり救われたのになあって思います。

 

すごくキレイな顔の人もいるのに、どうして神様は人を不公平に作ったんだろう?

 

と思ったものです。そんな話はさておき・・・

 

 

Yogaの(アサナの)練習とは、この身体や心という縛りを解いていく練習と

 

言っていいでしょう。

 

身体の弱い人、トラウマを抱えた人、精神疾患や、そこまでいかなくても

 

ストレスで重圧を受けて苦しむ人たちは、この身体や心というどうにもならない

 

ものの中でもがいています。

 

私のように、「自分はどうしてこんな顔に」のところで終われたらいいのですが、

 

時に、この顔で、この身体で生まれたから私の人生はうまくいかないと考える人たちもいます。

 

また、頑張って身体を強くしようとしたり、医者に行ったりカウンセリングを受けたり

 

する人たちもいますが、そこにも限界があります。

 

それは与えられているものなのだから、諦めなければいけないものなのでしょうか?

 

運命だから仕方ないものなのでしょうか?

 

 

話が変わりますが、トラウマを持つ人の話を聞くと、その人たちは想像できないような

 

苦しみを持っています。自分の意図とは関係なく、身体と心が望まない反応を起こして

 

しまうのです。

 

ヴェーダ経典には、私たちは肉体、幽体(希薄な身体)、本体(魂)でできていると

 

書かれています。

 

トラウマや、精神的な傷は、この幽体にある心に記録されます。

 

衝撃が強ければ強いほど、それは深く刻まれ、肉体にも影響を与えます。

 

肉体と心が自分のコントロールできないところにあったら、それは苦しいに決まってます。

 

ただ、これは実は、私たち一人ひとりにも当てはまる話なのです。

 

毎日私たちは一生懸命仕事をしたり、家族のお世話をしたり、外側からやってくることに

 

対処して生きています。

 

すると、肉体と心はそれに対処するように勝手に動きます。

 

それは無意識に行われていることがほとんどです。

 

「無意識」のパターンに私たちは動かされてしまっている。

 

心に刻まれたパターンに動かされているのです。

 

それなのに、その心こそが「自分である」と思っているから苦しくなるのです。

 

では無意識でない、「意識」とはなんなのでしょう?

 

それは「気づき」です。

 

 

今回ドラッグストアなどで、モノが欠品する中、店員に詰め寄り、声を荒げるという

 

「必死」な人たちが多くいると聞きました。

 

店員に詰め寄ってもどうにもならない、店員も大変な状況の中で頑張ってるんだという

 

ことに思いが至ればこうはならないですよね?

 

同様に、自分の行動、言動、心(思考)のパターンに、もし気づくことができたら、

 

私たちは、少なくとも今抱えてる苦しみの半分からは自由になれます。

 

自分の欲が満たされないからと言って怒ることがなくなります。

 

 

肉体と心がなぜあるのか?

 

それが私たちを縛るものと考えると、苦しみの鎧でしかありません。

 

でも、肉体と心が教えてくれるものに気づいて、意識的になっていくことで

 

私たちはトラウマからも自由になれるのです。

 

Yogaは自分への気づきを教えてくれます。

 

自分をありのままに見て、今ここにいるということを実感しながら、

 

自分の内側にある大切なものに目を向けて、本当の自分を知ること。

 

安定して確かなもの、不変のものと繋がろうとするのがバクティYogaです。

 

 

拙い文ですが、今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

 

石畳のゴツゴツ感、足触り・・・・肉体で感じられるもの

空気感、人の親切、思いやり、愛・・・心で感じ、肉体でも感じるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

味わいは結果を超えていく(婚活話・番外編)

  • 2020.02.20 Thursday
  • 18:30

 

私たちは、毎日目標に向かうように仕事をします。

 

いついつまでに、これを終わらせなさいと言われ(または自分で決め)

 

売り上げ目標

 

業績達成

 

資格取得

 

何かをマスターする

 

・・・・etc

 

 

それは、生きていくためには大事なことですね。

 

「いつか」という漠然とした目標では、なかなか行動に移すことができないから、

 

まず期限を決め、小割りにして、小目標を決めて

 

一つ一つ、こなしていくといいですよ、というのは目標達成のためのセオリーです。

 

 

ところで、この目標達成への行動の中で、障害になるものがあります。

 

計画通りに上手く行ってる時は、嬉しいし、もっと頑張ろうと思えて、

 

モチベーションも上がりますね。

 

でも、上手くいかない時、私たちは苦しくなります。

 

努力しても報われない事も、この世には沢山あります。

 

この時、

 

「上手くいっている」=良い(自分にとって都合が良い、望み、理想通り)

 

「上手くいかない」=悪い(自分の望み、理想通りに運ばない)

 

と、私たちは思っています。

 

当たり前のように思えるかもしれませんが、私たちがいかに自分の期待によって、

 

喜んだり、落ち込んだりするかがわかります。

 

 

私は長い間、結婚相手が欲しくて、お見合いしたり、紹介を受けたりしてきました。

 

この、いわゆる「婚活」ほど自分の希望通りいかないことは他にないんじゃないか、

 

と思うくらい沢山の困難と失敗がありました。

 

人同士の気持ちとは、化学式や数学のように、必ず同じ結果が出るものでは

 

ないのです。

 

しかも、上手くいかないと「これは、たかがお見合い」で、特に断られた場合、

 

「たまたま相手と息が合わなかっただけ」、と割り切れないのです。

 

私も、何度も、まるで自分が全否定されたような気になったものです。

 

現に、「婚活ウツ」に陥る人も多いようです。

 

そのような人が多いから、この記事を書いてるのですが・・・。

 

 

ちょっと話が飛びますが、「婚活」という言い方に、私は抵抗を感じるんです。

 

他に言い方が思い浮かばないので、使ってますが。

 

「結婚する活動」ってことですけど、冒頭に書いたように、これは

 

「目標達成」ありき、みたいに自分を追い込む言葉のように思えるのです。

 

もちろん、そうじゃなく、明るく婚活楽しんでる人もいらっしゃるかもしれませんが。

 

 

では、どうすれば、苦しくなく目標に向かえるのか、というお話をします。

 

大事なのは、何をするのも「味わい」を大切にするということです。

 

 

お見合いは、アレンジメントシステムと英語に訳されるそうですが、

 

結婚したいもの同士が、相手のスペックを選び、出会い、最短距離で

 

結婚できる素晴らしいシステムです。

 

ですが、現代は昔と違って、独身で年齢を重ねていても、後ろ指指される事も

 

都市部ではほとんどありません。

 

その分、「もっと良い人がいるに違いない」と、焦って選ばなくても良くなり、

 

理想が高くなってる。すると、相手をちゃんと知る前に、上辺だけ見てさっさと見切りをつける

 

ということが多くなる。目標達成のために、効率よくやろうとすると、こうなります。

 

すると、「失敗」は失敗でしかなくなります。

 

お見合いは、年齢を重ねて、時間がないと思う人にはメリットも多いけれど、その分断られた時の

 

反動もたくさん来るということを知っておいた方がいい。

 

本当は、自然に知り合うのが一番良いのですよね。

 

色々なサークルや、クラブで友達をたくさん作って、自然に相手を知っていくという方が

 

傷つくことは少なく済むと思います。

 

方法を限定せず、どうすれば自分の良さを生かしていけるかということを考えるのは

 

婚活に限らず、全てのことに言えると思います。

 

 

さて、

 

恥ずかしながら、私のことを書かせてもらうと、失敗する中で沢山のことを

 

学んでいきました。

 

初めは「一緒に食べ歩きができるような、グルメの人がいい」「最低これくらいの年収」

 

なんて理想を持ってましたが、それは外堀であって、何が本当に大切かがだんだんわかって

 

きました。

 

年収が低かったとしても、もし自分に合う人と結婚できたら「自分が食べさせちゃる」

 

くらいの気概で行こうと、最後の方は思ってましたし。

 

それまで生きてきた中で、自分にとって何が大切かといったら、

 

「周囲の人にどれだけ思いやりを持っている人か」だということに気づいたのです。

 

お年寄りがいても席も譲らないばかりか、私が譲ろうとしたら、「お前がとった

 

席なんだから、座ってろ」と言った昔の彼氏もいたんです。全てそういう考えで

 

行動する人でした。

 

彼にしてみたら、私を座らせたいという愛情表現だったのかもしれませんが、

 

「自分たちだけ良ければいい」という考えは私にはなかったのです。

 

相手に合わせることは大事なのですが、それは我慢したり、迎合することではないんですね。

 

その一番大事なところは、譲ってはいけない。

 

どんなに他の部分が良くても、大事なところが合ってなければ断ろうと思いました。

 

贅沢言える年齢ではないのはわかっていましたが、それでも、それこそが

 

結婚の意味と言えるくらい大切なことだと思ったからです。

 

今の旦那は、ホスピスの子供達を訪問して紙芝居をするような、私にとって

 

素晴らしい人です。本当に結婚して良かったと思える人です。

 

それも、スペックや見た目で選んでいたら、巡り会えなかったなあと

 

思います。

 

私たちは3ヶ月も、ほぼ毎日メールをやり取りして、相手を深く知ろうと

 

していきました。焦らずに、そのやり取りを味わって、楽しんでいました。

 

その時気をつけたのは、「キャッチボールをする」ということでした。

 

自分をアピールするよりも、相手の書いてきたことをちゃんと受け止めて、

 

投げ返す、ということをしたと思います。

 

 

 

一回一回のデートを楽しいものにしていく事もすごく大事です。

 

なんとか成功させなければ、自分を良く見せなければと思うと、硬くなり、自然体では

 

なくなりがちです。

 

相手の話を楽しみ、相手の良いところを見つけ出し、(これは自分の練習になります)

 

美味しく食べ、良いひと時を過ごそうとすれば良いのです。

 

デートが楽しければ、結果的に、2回目のデートにつながる可能性も高くなりますしね。

 

そして、そのデートがもし結果に結びつかなかったとしても、ネガティブに考えず、

 

「楽しかった」と味わい、焦らずに次に結びつけていけば良いのです。


 

 

「婚活」話を例に出してしまいましたが、これは仕事にも、他のことにも

 

活かせることです。

 

私は今だに「焦らない」ですることが、得意ではありません。

 

自分では、すぐに結果だけを求めてしまう性格なのがわかってます。

 

だからできるだけリラックスしているように気をつけています。

 

私は、「ゆっくりゆっくり進めば良い」とYogaに教えてもらえました。

 

そのように意識し出したら、勝手に良い方に向かい始めたのは、

 

不思議です。

 

Yogaを始めたばかりの頃はできなかったアーサナも、ふと気づくとできるように

 

なっていたり。

 

気がつけば、心の中に埋もれていた希望が叶っていたり。

 

一瞬一瞬を楽しみながら、コツコツやっていくと、思い通りの結果が来なくても

 

自分の宝になっていくのです。

 

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魂の性質

  • 2020.02.05 Wednesday
  • 19:00

 

私たちの心は、いつでも動き回ります。

 

それが心の特徴です。

 

インド哲学の経典には、心という目に見えないものが何なのか分析され、書かれています。

 

私たちの苦しみの原因が心にあるということを経典は教えてくれてるんです。

 

 

私たちの身体は、わかりやすく言えば上着、下着、本体(中身)のようなもので、

 

 上着がこの肉体

 

 下着がサトル・ボディ subtle body(幽体、アストラル体)

 

 本体が魂

 

だと書かれています。

 

心はこのサトル・ボディにあると言われます。

 

 

そして、本体(魂)の性質は、サットチットアーナンダです。

 

(よくサッチーナンダと続けて発音されているのを聞きます)

 

 サット=永遠

 

 チット=知識

 

 アーナンダ=幸福

 

永遠なんです。

 

つまり、不滅ってこと。

 

インドの聖者が亡くなる時、「肉体を離れる」という言い方をします。

 

この世で使ったけど、古くなってしまった上着を脱ぐということです。

 

そして生まれ変わるということを言っています。

 

この「私たちは(永遠の)魂」という認識があると、人の苦しみは大分減ります。

 

そう思いませんか?

 

 

どうして私たちは怖がるのか、というと、肉体に苦しみを受けたくない、死にたくない、

 

自分の(肉体に関する)ものを失いたくないという執着を持ってるからです。

 

魂は、この身体を離れる時に何も持っていけません。お金も、地位も、家も、何も。

 

生きてる時はほとんどの人が、それを意識しません。

 

それを早い段階で意識しておくことは、今後の生き方を楽にします。

 

そして、死は単に上着を着替えるだけで、魂の終わりではないということを信じると、

 

恐怖が大分薄らぐのではないでしょうか?

 

 

 

私の知ってる方の話です。

 

その方は、ずっと先の出かける予定の日の天気が心配だし、新型ウィルスが

 

流行ることが心配で、夜も眠れないことがあるといいます。

 

健康な人は笑うかもしれませんが、とても身体が弱く、小さな頃から、そうやって

 

恐怖と戦ってきたというのです。

 

病気になりたくない・・・つまり苦しみたくない(誰だってそうですよね)

 

死にたくない・・・

 

大変な人生だったのだなあと思うと、涙が出ます。

 

 

 

私たちが心の働きに左右されてしまうのは、自分が魂だという知識がないか、

 

それを聞いても信じようとしないからなのですね。

 

もちろん信じるに越したことはないけれど、信じられなくてもいいと思うんですよ。

 

でも、信じて何の損になるのか?むしろ苦しみが減っていくんだったら、

 

その知識を学んだ方が良いと私はいいと思ってます。

 

 

もし死への心構えができたら、今この時を充実させ、一生懸命生きることができると

 

思います。

 

ずっと先のことを心配し、今日を暗い気持ちで過ごして台無しにしてしまうのではなく、

 

この瞬間を、一瞬一瞬を丁寧に、味わって、自分の仕事や与えられた役割を

 

しっかり果たしながら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛のYoga

  • 2020.01.30 Thursday
  • 19:34

 

Yogaとは「つなぐ」という意味。

 

何と何をつなぐのか。

 

それは、揺るがないもの、私たちを作った大きな魂と、私たち小さな魂をつなぐものと言われる。

 

 

私たち小さな魂は、大きな魂から離れてしまうと、自分の役割を忘れて

 

好き勝手に生き始めてしまう。

 

すると、自分が主人公になっているので、やってくる苦しみを「自分の力で」

 

なんとかしなくちゃ〜と思って奮闘することになる。

 

そしてヘトヘトになり、心が折れたり、精神的に参ってしまったりする。

 

苦しみとは、

 

 天変地異、自然災害など

 

 他人から来る苦しみ

 

 生老病死

 

 自分の心の苦しみ

 

の4つと言われます。

 

いずれも避けられないもの。

 

人生には良い時もあるし、悪い時もある。

 

何とか、良い時が多くなるように、私たちは頑張ろうとするのだけど、

 

何しろ、「小さな魂」なものだから、不安定。

 

上がったり、下がったり、人生という大海の中を流される小舟のよう。

 

嵐が来たら、沈んでしまうかもしれない。

 

運任せになるって、怖いよね。

 

だから思い出した方がいいんです。

 

「大きな魂」のことを。

 

自分がどこから来て、何者なのかを知らずに生きるのはとても不安定。

 

でも、私たちは大きな魂とつながっているんだ、

 

するべきことがあるんだって気づけると、苦しみを越えられるんです。

 

 

Yogaを身体の鍛錬としてやっている人も大勢いらっしゃいます。

 

クラスが終わった後の、スッキリした感じ。

 

心のモヤモヤが取れているような・・・。その状態をサットヴァと言います。

 

その気持ち良さも大切なこと。

 

でも、まだそのままでは「自分意識」から完全には抜け出せない。

 

 

 

 

人は愛によって生かされるんですが、高い段階の愛とは、「自分」から離れられた時に

 

やってきます。

 

自分のことはさて置いて、人の為に、大きな魂が喜ぶように行動していく練習をすると、

 

ハッと気付いた時、そこに苦しみがなくなり、安定があることがわかるのです。

 

バクティ・ヨーガは愛を練習するヨーガ。

 

キールタンを歌うことから始めてみましょう💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛のために進歩する

  • 2020.01.13 Monday
  • 19:56

 

バクティヨーガ。

 

それは愛のヨーガ。

 

仕えることで愛を得ることができるという教え。

 

人は自分以外の誰かの幸せを願ったり、尽くすことで幸せを感じられるように

 

できているといいます。

 

実際、自分を観察してみると、自分よりも人が喜んでいるのを見る方が

 

嬉しくなる。

 

それが、人の本質 だからと聞いた時、納得した。

 

本当の愛は、結果や見返りを求めずに与えるものなのだ。

 

でも、私を含め、多くの人はなかなかそれができなかったりする。

 

自分の利益を考えた時、無償で人に仕えるというと、「損する」とか、

 

「こんなにしてあげてるのだから、何か見返りが欲しい」などと思ってしまう。

 

自分のことで精一杯だったり、人より自分が得したいと思っていると、

 

無償の愛を与えるのは難しい。

 

 

 

 

昔の話。

 

私の知り合いに恋人ができた。

 

もう聞いていると、こっちまで赤くなるようなノロケ話ばかりで、ウキウキしていた彼女。

 

ところが、つき合いだして1週間、1ヶ月、3ヶ月・・・と経つうちに、表情が暗くなってきた。

 

話すことは、「彼氏が『こうしてくれない、ああしてくれない』という不満ばかり。

 

愛していると言ってくれない。

 

まめに電話をくれない。

 

家まで送ってくれない・・・

 

私のことを愛していないんじゃないか?

 

相手を愛すれば愛するほど、疑う気持ちが増えていくようだった。

 

そして、彼のことを話しているうちに、彼女はしょっちゅう泣いた。

 

どうして私がこんなに愛しているのに、わかってくれないの?

 

側から見ていると、彼氏はとても冷静な感じで、彼女ほど感情豊かではないように

 

見えたが、ちゃんと彼女のことを思っているということが伝わってきたんだけどなあ。

 

こんなに好きな人がいて、幸せなはずなのに、彼女は彼氏の気持ちが見えなかった。

 

自分から不幸のドツボにはまって行った。

 

そして・・・・二人は半年ほどで結局別れてしまった。

 

別れた原因の細かいことまではわからないのだけど、

 

彼女は、愛を「してもらう」ことで得ていたのかなと思った。

 

自分が尽くす、仕える喜び、相手の幸せを見る喜びの大きさを知っていたら

 

苦しまず、目の前の相手を大切にして、穏やかに関係を育てていけたのではないかな。

 

外からやってくる幸せを待っていると、私たちは不安定になる。

 

でも誰かに尽くすことは、やろうと思えばいつでもできる。

 

 

ただ、尽くすだけなら、自己満足に終わることもある。

 

尽くすことを目的にするのではなく、相手の幸せのために行動する。

 

それにはどうしたらいいのかな?

 

相手を真に幸せにしようと思ったら、相手をよく観察しなければならない。

 

時には自分の能力をフル活用する必要もあるかもしれないし、

 

頭も良くしないといけなくなるかもしれない。

 

だからそのために勉強もしたり、自分の能力を磨きたくなる。

 

愚鈍で怠惰だったら、相手に喜んでもらえる奉仕ができないと思ったら頑張れる。

 

そんな風に、結果的に自分も進歩していく。

 

自分のためではなく、愛のために自分が進歩できたら、素晴らしいと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yogaは調和する生き方 2

  • 2020.01.10 Friday
  • 18:55

 

Yogaをやってる人、Yogaをやってない人。

 

もっと言えば、ヴェーダの知識を知ってる人と、知らない人。

 

そこには大きな違いがある。

 

だけど一方で、違いがないとも言える。

 

大きな大きな、本当に大きな意味で、この世はYogaで満たされている。

 

だけどそれがわかる人とわからない人がいて、それはわかりやすく言えば、

 

運命のせい。

 

運命は、自分の魂が貯めてきたポイント数や、星の配置や、宇宙の性質によって

 

変わると言われている。

 

ポイント数が多ければ、Yogaが深くわかるようになっていく。

 

 

 

ヴェーダを知って、Yoga的に生きようとすると、苦しくなることがある。

 

周りとの軋轢を感じた時だ。

 

 

例えば、私はヴェジタリアンなんだけど、そうじゃない方を、初めは違う目で見てしまって

 

いたと思う。

 

アルコール、タバコもヴェーダの教えによれば、取らない方が良いとされている。

 

だから、アルコールやタバコを取ってる人との隔たりを感じていた。

 

でも、だんだんそれは違うなと思い始めた。

 

(もちろん、肉、アルコール、タバコを取ることから発生する害はあるわけで、

 

やめると考え方までがクリアーになり、ビジョンが変わるので、Yogaをする方には

 

オススメする)

 

 

話はそれるのだけど、私に

 

「肉を食べてます。すみません」と言ったり、

 

「アルコール飲んでます。すみません」と言う方がいるのだけど、

 

私に謝らないでいいんです。

 

それは自分自身の中のこと。

 

人から勧められたことがキッカケになるかもしれないけど、何よりも自分が止めようと

 

思えることが大事なんです。

 

前に書いたけど、「納得している」ことが大切。

 

そうじゃないと苦しいだけだ。

 

私は、もし、「お肉やめたんです」と言う人がいたら、素晴らしいなあと思って

 

褒めたいと思う。

 

それだけなのだ。

 

 

話は戻るが、そうやって、ヴェーダを知っているということを色眼鏡にしては

 

いけないと思っている。

 

自分は知っていて、

 

相手は知らない。

 

それだけの話なのよね。

 

知りたい人は知ろうとする。

 

興味を持たない人は、今は興味がない「状態」であって、それはそれ。

 

そういう人も、ちゃんとYogaという愛に包まれて、この世を終えていくのだ。

 

私たちは全て、根本は同じなのだ。

 

だから、Yogaを学ぶ人に言うが、自分が知ってて「優れている」わけでは決してない。

 

知っている人は、知ったことを愛にして、謙虚に毎日の生活の中で配っていけば良いだけだ。

 

 

 

Yogaを学んでいる人と付き合うことは、すごくすごく大切なことだ。

 

でも、周りはそうじゃない人の方が多い。

 

その中で、どうYogaの愛を伝えながら調和して付き合っていくかなのだと思う。

 

愛ある態度、言葉を発するとそれはじわーっと、必ず伝わる。

 

Yogaは人と自分を分けることではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は行動から始まる

  • 2020.01.09 Thursday
  • 19:01

 

バクティ・ヨーガは愛のヨーガ。

 

ひびきが良いです。みんな「愛」が大好き。(笑)

 

みんな愛について知りたい、学びたいと思っていると思います。

 

だって、全てこの世にいる者にとって、一番必要なものだから。

 

この世を創った神様でさえ、一人では寂しいと思ったのです。

 

だから自分の伴侶をつくったのです。

 

 

前にも書きましたが、実は愛って体験からしか学べません。

 

だけど、愛の体験が少ないと、心と体験が結びつかないんです。

 

だから「わからない」。

 

自分の理解の範囲外ってことです。

 

いつも思うのですが、自分が体験したことのないことは、想像は幾らかはできるかも

 

しれないけれど、皮膚の感覚とは繋がらないんですね。

 

自分は愛されたことがないと思っている人もたくさんいます。

 

でも、そう思っている人も、実はすごく愛されてるんです。

 

あなたを愛している人がいるんです。

 

なぜあなたが生きているのか。生きていられるのか。

 

それは誰かに支えられているからではないですか?

 

そこに思いが至らぬほど苦しい人は、愛に飢えているのだと思います。

 

そして体験が不足している。

 

その時どうすればいいのでしょうか?

 

学ぶとやってきますか?

 

知識は本当の愛を与えてくれるでしょうか?

 

いいえ。

 

まず、行動することから始めましょう。

 

Love in Action

 

待っているだけではなく、自分が発するのです。

 

すると、愛の力がやってくるんです。ホントに。

 

今、自分ができることで行動して見てください。

 

別にボランティアに出かけたりしなくてもいい。

 

まず目の前の人を大切にしてみましょう。

 

呼吸を大切にしてみましょう。呼吸に感謝する。

 

地球に、食べ物を作ってる人に、水に、笑顔をくれる人に、感謝する。

 

そこからです。

 

それを続けてると、愛を感じる力がついてくるんです。

 

そしたら、ほんのすこしで良いから、自分を捧げてみるんです。

 

自分の時間。

 

自分の体力。

 

愛ある言葉。

 

全て愛の方向へ向かうように生きてみることが、愛の体験を運んできます。

 

すこしずつ始めてみましょう。