今辛い人へ

  • 2020.06.13 Saturday
  • 20:31

 

インスタグラムやFBのプロフィールにも書いてますが、20代の頃にうつ病になりました。

 

何のために働いているのか、何のために生きているのかわからなくなっちゃったのです。

 

何の才能もなければ、容姿も綺麗ではない。

 

ADHDの傾向があって、(その頃はそんなに有名な病気ではなかったので、

 

自分がそうなのだとは気づきませんでしたが)

 

好きなことには集中できるけど、嫌いなことはやりたくない。

 

怠惰で、根気がなく、家の中はいつも散らかりっぱなし。

 

約束が守れない。その場が良ければ良いと思ってる・・・

 

欠点は数え上げればキリがないものでした。

 

自分で欠点を数えては、生きてても無駄だと思い、人の優しさにも気づけなかった。

 

 

今、うつ病もADHDも、私にとっては必要だったと思っています。

 

「何の才能もなければ」生きていてはいけないのか?と私は昔の私に言ってあげたいです。

 

それどころか、今思えば、私には本当にたくさんの小さな長所があったのだなあと

 

思います。自分でそれを長所として認めてなかったのです。

 

いじめられている子をかばったり、動物を助けたり、音楽や絵が好き、読書が好きだったので

 

国語の成績はまあまあ良かった(笑)、好きなことには一心不乱になれる・・・・

 

な〜んだ、そんなこと、と思うようなことかもしれませんが、こういう小さなことを

 

自分が認めてあげることが大事なのだと思います。

 

 

その後自分で自分を変えたい、と思った時、私は毎日自分のことを日記に書きました。

 

(それは後でブログになりました)自分を見つめる時間を毎日持ったことが

 

結果、自分を救うことになりました。

 

 

Yogaの経典である「バガヴァッド・ギーター」の中に、「心を制御しなさい」という

 

言葉があります。

 

心は好き勝手なことを言うのです。

 

「今日は気分が乗らないから、学校サボっちゃえ」

 

「今日は頭が痛いから、練習サボっちゃえ」

 

「今日は雨だから、サボっちゃえ」

 

 

私は今、毎日マントラを一定の回数、唱えてます。サーダナと言って、修練と言って良いか

 

わかりませんが、唱えるのが自分の義務と思っているのでやってます。

 

これを、先日師匠が、「心が何を言っても、サーダナをとにかくやることが大事」と

 

言われていました。これが自分の安定感を作ってくれると。

 

 

 

 

私がなぜうつ病やADHDを乗り越えられたかと言うと、自分で作った小さいハードルを

 

ひとつひとつ乗り越えてきたからなのだと思います。

 

そのハードルは、できる方から見たら本当に小さいもので、

 

例えば、「朝は必ず6時に起きる」とか、「500円玉貯金をする」とか、

 

「帰宅したらすぐカバンの中の不要なものを整理して、次の日の用意をしておく」

 

「汚れたらすぐキレイにする」とか、

 

・・・・・笑っちゃうようなことかもしれないのですが、こういうことから始めたのです。

 

特に「毎日する」ことを作ると、脳が鍛えられます。これが「安定感」を作ります。

 

こういうことをコツコツやっていくと、心が何を言っても動じなくなっていくのですね。

 

脳の筋肉がついてくるというか、強くなっていくのです。

 

小さなことでも、積み上げて自分の自信にしていくのです。

 

その後、私は自分で会社の昼休みに必ず20分英語の勉強をすることを始めました。

 

以前の自分からしたら奇跡のような変化です。

 

そこから得たものも、すごく大きな自信になりました。

 

余談ですが、受験勉強というのも、自分を鍛える大きなハードルになります。

 

希望の学校に合格できなくても、多かれ少なかれ、身になっているのです。

 

 

 

それからもうひとつ大切なのは、健康に気を使うことが大事です。

 

怠惰は、脳の体力(キャパシティー)がないことと、身体の体力がないことからも

 

やって来ます。

 

脳のキャパがなかったり、身体の体力がないと、すぐ疲れを感じてしまい、やる気が

 

起こらないのです。

 

脳のキャパは、先ほど書いた小さなハードルをクリアーしていくことを続けると

 

上がっていきますが、体の方はいきなり「ではランニングをしよう」と始められるものでも

 

ありません。今まで何もしていなかった人には、ハードルが高すぎるのです。

 

なので、こちらも、最初はラジオ体操とかでもいいし、10分早足で歩くとか、

 

5分のスクワットやストレッチからでも良いので、「小さく始める」ことが良いと思います。

 

もちろん、ヨガは本当にオススメですよ!体力が低くてもできます。

 

私のことを書くと、エアロビクスを始めたことが私の人生を大きく変えたと言えるほど

 

助けになりました。集中力も上がり、持久力もつき、疲れにくくなったのは大きかったです。

 

体力が上がると、ちょっとやそっとのことで挫けなくなるのです。

 

最初、続けることが難しいのですが、自転車を漕ぎだす時には力が要りますよね?

 

強くペダルを踏む必要があります。ですが、最初だけです。

 

それと同じで、走り始めてしまえば、あとは難しくなくなります。

 

自分が少しでも「楽しい」と感じられることを続けるのがコツです。

 

 

最初から遠いところを見ない、大きなものを目指さない、目の前のことを見てみましょう。

 

そして、自分の中にある長所を探して、それを育ててみてください。

 

小さなもので良いのです。

 

そして、自信になるタネを蒔いて育てましょう。

 

本当に花のタネを蒔いて育てるのも良いかもしれません。

 

それを重ねていけば良いのです。

 

 

今、本当に苦しんでいる人にとっては、「私には無理」と感じる話かもしれません。

 

そして、きっと私よりももっとひどい症状の方もいると思います。

 

ですが、ここに書いたことが1ミリでも、何かの役に立てば良いなと思います。

 

このブログを読んでいる、ということは、きっとほんのちょっと、

 

前を向こうとしている自分になれたということだと思うのです。

 

今一歩だけ踏み出し、できることから始めてみてください。

 

最初の一歩からというのは、誰でも同じです。

 

 

今日も拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe!

 

 

Hare Krishna Hare Krishna

 

Krishna Krishna Hare Hare

 

Hare Rama Hare Rama

 

Rama Rama Hare Hare

 

 

 

 

 

 

3つのメガネ

  • 2020.05.29 Friday
  • 19:12

 

これ、前から時々書いていることなんだけど、

 

人はパターン(癖)によって動くことが多くて、

 

しかもそれに自分で気づいてないことが多々ある!

 

私もきっとそうなんだと思うけどね。

 

「あっ!この人、本当に気づいてなくてやってるんだなあ」って思うことが

 

よくある。

 

例えば、誰が見てもイジメじゃん!って見えることを、いじめてる本人は

 

全くそう思ってないとか。

 

他にも、その行動すごく人にプレッシャー与えてるよ〜と気づいてもらおうとして

 

その人にやんわり伝えたつもりだったのだけど、逆に取って、

 

「私はまさに、その通りに行動している。やっぱり私は正しかった」的な返事が来た時には、

 

ぎょっとした。 せ、正反対に取ってる!

 

人の行動をチェックして、いつも「あれってどうなの?」と言ってる人が、

 

「人のジャッジをするのはやめよう」とSNSに書いていたり。

 

人のことは見えても、自分のことは見えてない。

 

これが、グナの影響というやつかと、よく思う。

 

で、きっと私もそういうところが沢山あると思ってる。

 

みんな自分もそうだと思っていた方がいい。

 

自分は正しいという考えをちょっと横に置いとこう。

 

 

 

 

私たちは、たいていの場合、かけたくなくてもグナの色眼鏡をかけちゃってるのだ。

 

3つのグナ。

 

タマス(暗質、怠惰質)のメガネをかけてると、物事が逆さまに見える。

 

良いことを悪く取り、悪いことを良いと思っちゃう。

 

ラジャス(激質)のメガネをかけてると、物事を正しく見られなくなる。

 

勝つこと、達成することにとらわれ、判断基準が激情に流されたりして歪む。

 

唯一、できればこのメガネをかけたいね、というのが、サットヴァのメガネ。

 

サットヴァ(徳の質)のメガネをかけてると、概ね、ありのままに物事を見られる。

 

 

タマスとラジャスのメガネをかけてる時、人は自分本位になってる。

 

他人がどう感じるかということに思いが至らない。この言動、行動が

 

どう周りに影響を与えるか、言われた人、された人はどう感じるかということは

 

その瞬間は想像できない。

 

自分が判断する人、自分目線になってしまってるからだ。

 

 

そこで、Yogaの修練は、自分から矢印を外すのに役立つ。

 

いつもメガネかけてる自分の心を、外から見てみる習慣をつけることが

 

純粋な判断ができるようにするコツだ。

 

怒り、悲しみ、妬みがわき上がっている時こそ、

 

「こうしたい、こう言いたい」という欲がわき上がってきた時こそ、

 

すぐにそれに従わない。

 

抑えられない怒り、悲しみは、まずちゃんと自分が受け入れる。

 

受け入れると、一呼吸おける。考える時間ができる。

 

本当にそれ、していい事なの?言っていい事なの?と、

 

自分に聞いてみる。

 

それでもどうして良いかわからなかったら、人に相談する。

 

できればサットヴァを持っている人に相談してね。

 

(私の場合は師匠や先輩方、ヴェーダを学ぶ仲間です)

 

いつもサットヴァでいられるよう、マントラを唱えよう。

 

 

Hare Krishna Hare Krishna

Krishna Krisuna Hare Hare

Hare Rama Hare Rama

Rama Rama Hare Hare

 

 

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

聖者はグナから自由な存在と言われます

 

「人をチェックする前に、自分をチェックしなさい」とおっしゃいます

 

 

 

魂の幸せ

  • 2020.05.21 Thursday
  • 17:11

 

ヴェーダとは「知識」という意味です。

 

ただ単なる知識ではなくて、「魂の知識」です。

 

その結論のことをヴェーダンタと言います。ヨーガ哲学はヴェーダンタに

 

含まれています。

 

ヨーガ哲学、ヨーガ哲学と言っても、いくつか種類があります。

 

多くの場合、日本で普通に巡り合うヨーガの哲学は、「ヨーガスートラ」という

 

経典の中に書いてあります。

 

「身体と心を浄化して、自分が魂であることを悟りましょう」ということなのですね。

 

アシュタンガ・ヨーガやラージャ・ヨーガも魂の知識なのですが、

 

バクティ・ヨーガとは目指すところが違います。

 

同じく、「この世の輪廻転生から自由になりましょう」というところは共通ですが、

 

アシュタンガ・ヨーガやラージャ・ヨーガの修行をしても、解放されるまでに何万回も

 

生まれ変わらなければならないと言われています。

 

「え〜っ!?頑張っても何万年もかかるんだったら、今楽しい方がいいよ」と

 

思いませんか?

 

だからどうしてもこれらのヨーガをしていても、肉体意識からはなかなか抜け出せない。

 

ゴールが遠すぎる。

 

そもそも目指すところが「神様の光と一体化する」というところなので、

 

私だったら「光と一体化する」ことにはあまり魅力を感じません。

 

ゴールが遠い上に、あまり魅力的ではないから、別にヨーガなんてやらなくてもいい、

 

信じられない、ってなってしまうか、「体操のヨーガをして健康になる、心を

 

コントロールし浄化される」止まりになってしまうのです。

 

これはせっかくヨーガに巡り合った人にとって、とても勿体無いです。

 

 

ではバクティ・ヨーガって何なのか?

 

一言で言えば、自分の根源の魂と愛で結ばれるヨーガということでしょうか。

 

根源の魂をクリシュナといいます。クリシュナは「バガヴァッド・ギーター」の中で

 

アルジュナという私達人間の代表に、「こうすると輪廻や苦しみから抜け出せるよ」と

 

語り、このバガヴァッド・ギーターは、古今東西の多くの哲学、哲学者に大きな

 

影響を与えました。

 

クリシュナという、人間のように姿形があって、性格もあって、喋る、踊る、歌う、笑う、

 

時には泣いたり怒ったりもする人格がある人と、関係を作る。

 

それはどうすれば良いのかと言うと、実はシンプルなのです。

 

クリシュナに愛されるように行動するという事だけなんです。

 

クリシュナには最愛の恋人ラーダー・ラーニーという幸福の女神がいます。

 

だからクリシュナを喜ばせるにはラーダーを喜ばせることが最高に良いのです。

 

 

私達人間は、ご利益がありますようにと神様に祈ったりしますよね。

 

で、例えば試験に合格すると、やったー!神様の慈悲が来た!などと喜びます。

 

でも時が過ぎると、多くの場合、神様のことを忘れてしまいます。

 

神様と自分の関係がわかってないからです。

 

「結果のために頑張る」のは、この世界での一時的な幸せを求める

 

行動です。

 

でも、クリシュナとラーダーに仕えるというのは、結果のためではなくて、

 

ただそうするのが幸せだからするのです。それを本当の魂の幸せと言うのです。

 

お母さんは、子供から見返りを貰おうとして愛を注ぐのではないですよね。

 

ただ仕えることが嬉しいからしています。

 

子供の笑顔を見るだけで、疲れも忘れてしまったりします。

 

そこには自分が幸せになろうという意識はなくて、ただこの子のために

 

という意識だけです。

 

それなのに、結果的に喜びがやって来ます。

 

愛があるところに喜びが来て、魂の喜びのあるところには愛がある。

 

 

 

クリシュナとラーダーを喜ばせる方法はたくさんありますが、

 

はじめは「自分が得したい」という意識を捨てる練習をすることです。

 

「自分」を失うということではありません。

 

ただ、結果を得ようとする意識をやめてみて下さい。自分の期待通りにならないから

 

怒りや悲しみが湧いてくるというのも、自分の期待という結果を得ようとしているからです。

 

自分の身近な人に、見返りを求めずに喜びをあげられるようにしてみて下さい。

 

不思議なことに、その意識になった時、幸せと言う結果が来るのです。

 

自分の身近な人にも愛をあげられなかったら、どうやってクリシュナとラーダーに

 

愛をあげられるというのでしょう?・・・ということです。

 

 

はじめからクリシュナとラーダーのことを考えることは難しい人もいると思います。

 

だから経典があり、ハリカタ(クリシュナの話)を聞いたり、キールタンという

 

歌うヨーガで瞑想したりします。

 

そしてぜひ、ハレークリシュナマントラを唱えてみて下さい。

 

ハートが溶けて、自分の魂が徐々に喜びを感じられるようになってきますよ。

 

どうしてかというと、だんだん、自分は本当は魂だったんだなぁということを

 

思い出してくるからです。

 

 

 

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

Hare Krishna Hare Krishna

Krishna Krishna Hare Hare

Hare Rama Hare Rama

Rama Rama Hare Hare

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認知すること

  • 2020.05.16 Saturday
  • 17:29


 

哲学って、何のためにあるのか?というと、みんなが幸せになっていけるように

 

あるわけで、今十分幸せですと思っている人は必要ないと思うかもしれません。

 

死、病気、体の故障、貧乏、対人関係の問題、自然災害や事故などで

 

自分の周りに「不幸」がやってくると、人はそこから何とか抜け出したいと思います。

 

特に、「死」と「老化」はどんな人にも100%やってきます。

 

自分だけは死なない、歳をとらないという人は誰もいません。

 

 

今幸せだと思っている人に、わざわざ「それは本当の幸せなんですか?」と言っても

 

なかなか伝わらない。怪しいと思われてしまうのが関の山ですね。(笑)

 

 

ただ一つ言えるのは、その幸せがこの肉体に関する幸せだった場合、

 

必ず終わりがくるということです。これは紛れもない事実です。

 

そういう意味から言うと、自分が思っている幸せを一度分析してみることも

 

必要なのでは?と思うのです。

 

 

この肉体(心)に関する幸せって・・・?

 

美味しいものを食べるとか、

 

お金がたくさんあるとか、

 

良い仕事についているとか、

 

愛する家族に囲まれているとか、

 

良い家に住み、良い車を持っているとか、

 

自分の学問や知識を深めているとか、

 

趣味に没頭できているとか、

 

Yogaのアサナが上手にできたとか、(笑)

 

 

もう、本当に! それも幸せです!確かに!

 

 

ですが、それ以上に大切なことがあります。

 

それが肉体と心の満足ではなくて、魂の幸せです。

 

その魂の幸せについて学んで、知っていくことを、本当の意味のYogaと呼ぶのです。

 

肉体と心の満足だけでも幸せかもしれないけど、それはいつか終わる。

 

その時は、今この瞬間かもしれないし、20年、30年先かもしれません。

 

でも、確実に終わるものなのです。

 

だからスピリチュアルな幸せ、つまり魂の幸せについても考える必要があるんです。

 

 

それは宗教ではなく、あらゆる人が知った方が良い知識なのです。

 

魂の知識に支えられて生きる =  Yoga   と言っても良いかもしれません。

 

その知識があるだけで、きっと肉体に関する幸せも失うことを恐れずに

 

生きていくことができるでしょう。

 

 

次回はどうすれば「魂の幸せ」を感じられるか、について書きますね。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

Hare Krishna  Hare Krishna

Krishna Krishna Hare Hare

Hare Rama Hare Rama

Rama Rama Hare Hare

 

 

 

4/26 オンラインヨガ哲学講座のご案内

  • 2020.04.16 Thursday
  • 16:21

みなさま、こんにちは。

世界的に広がるウィルス禍の中で、不安を感じていらっしゃる方も多いと思います。

先の見えない不安と向き合う時、一番良い道は自分のヴィジョンを変え、少しでも

ポジティブな方向へ向かう道を見つけることではないでしょうか?

私達は今、ヨガという古代から続く叡智を学ぶ絶好のチャンスを与えられているのだと

思います。ヨガはいつの時代も、師から弟子へと不変に受け継がれてきました。

ヨガのティーチャーズ・トレーニング(養成コース)で必ず学ぶヨーガ・スートラ、

バガヴァッド・ギーターはヨガの経典です。そこにはいかに人生という海を

楽に泳ぎ渡るかという叡智が書かれています。

それは、ヨガの先生だけではなく、誰もが学ぶべき人生哲学です。

ヨガのルーツがあるインドでは、小学校の頃から多くの子供たちがそれを学び、

大人になってからも繰り返し、繰り返し学んでいます。

今回、短い時間ですが、全てのインド哲学の向かう結論、エッセンスを

ジャヤーナンダ・ダーサ師にわかりやすくお話し頂きます。

ヨガの先生は、ご自分のクラスにヨガ哲学と愛をどう伝えていけるか、

そうでない方は、仕事、家族、人間関係、ウィルスなど外からやってくる災害に

どういうヴィジョンで接していけば良いのかなどがクリアーになって行くことでしょう。

オンライン講座は、スマホ、タブレット等があれば簡単にご参加頂けます。

お申込み頂いた方にリンクをお送りいたしますので、どなたでもお気軽にご参加ください。

 

オンラインヨガ哲学講座 「魂の旅 〜私たちはどう生きれば良いのか〜」

【日時】4月26日(日) 13:30~16:30 (3時間)

【受講費】¥2,500

 

お申し込みは下記へメールをお願いいたします。折り返し詳細をお送りいたします。

ricodancepower@gmail.com (本間)

または

アムリタヨガホームページお問合せページより送信ください。

 https://amritayoga-ofuna.com/contact

 

お電話でのお問合せ 080-3730-5897 (本間)

 

 ジャヤーナンダ・ダーサ師(小野塚 秀敏)     

ワールド・ヴァイシュナヴァ・アソシエーション日本支部 事務局長

現在、インドの聖地ヴリンダーヴァンと日 本にベースを持つ。ヴェーダを学び、

修行歴・ヴェジタリアン歴約30年。

読破した本 は約1万冊、出会った人々は1万人以上。

インドのヴェーダ経典を数百冊以上学び、 自己を悟った師から薫陶を受け、師の指示の元、

経典の翻訳及び最高のヨーガ、バク ティ・ヨーガのエッセンスのラーガ・ヌーガ・バク ティの

紹介と指導に精進している

 

役割を見つけ出すと

  • 2020.03.29 Sunday
  • 18:57

 

「こうしなければならない」という言葉にアレルギーがある人は多いと思います。

 

人から押し付けられるとムッとしたりします。

 

押し付けられること、強制されること、こうあるべきと言われる・・・

 

「常識でしょう」「男らしく」「女らしく」「親として」「人間として」「長として」など

 

自分は言われると不快になるのに、どうして私たちは自分自身にも、人に対しても

 

縛りを作ってしまうのでしょう?

 

そして、「こうあるべき」から外れている自分や人を非難してしまうのです。

 

 

自分と人と比べてしまうのも、同じように、「あの人はこう。私はこう」と、

 

その差を評価しているということです。

 

評価は正しく使えば、良い方向に向かう足がかりになって、ポジティブに

 

頑張っていこうと思えるエネルギーになります。

 

でも、人や自分を色分けすることに使うと、そこに垣根が生まれてしまったり、

 

「自分なんて」というネガティブな感情になり、自分を苦しめることになります。

 

 

どうしたら自分を縛らず、人にも優しくできるのでしょうか?

 

 

私たちは一人ひとり、生まれながらに役割を頂いていると言われます。

 

・・・と言うことは、一人ひとりの存在が大切なものなのですね。

 

神様が、「はい。あなたはこれお願いしますね」

 

「はい。あなたはあれお願いしますね」って言ってくれるところを

 

想像してみてください。

 

学級委員、美化委員、体育委員・・・

 

そういうののもっと細かいやつ同士が関わりあって、この世界ができてる。

 

人によっては大きなことを成し遂げる役割を持っていますし、

 

もしかして一見ネガティブに見えたり、困った存在と思える人も

 

役割を持っています。

 

「自分には役割がない」と思う人もいるかもしれませんが、

 

自分がどう考えようと、必ず役割はあります。

 

それが人間が生まれてきた理由の一つだからです。

 

それに気付ければ、尚一層、幸せに生きていくことができます。

 

ですが、

 

もしそれがわからない場合は、「誰かを助ける」ということをして見てください。

 

他の人がスポットライトを浴びること。

 

それを妬むよりも、助けてあげる役割を自分が担う。

 

すると、スポットライトを浴びてる人と同じくらい、いえ、もっと嬉しくなるのです。

 

みんな自分と同じに、大きかろうが、小さかろうが、役割を果たすために生まれて来ていて、

 

その人たちを自分が微力ながらでも助けていると思えたら、

 

自分や人を評価して比べることに、何も意味はないと思えるのではないでしょうか。

 

今の自分も

 

相手も

 

そういうやつと、ただ丸ごと受け止める。

 

良いも悪いもないってことだと思ってます。

 

 

ウィルスのニュースが毎日外側から押し寄せてますが、

 

そんな中、事象に冷静に対処しながらも、惑わされず、自分の内側にある

 

スピリチュアルな意識を高めるチャンスにしましょう。

 

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

Yogaの先輩がやっている畑に連れて行って頂きました。

土の香り、花の香り、空気の香りが春を感じさせてくれました。

今、ここにいるということを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーサナ練習をどういう意識でするか

  • 2020.03.23 Monday
  • 19:39

 

アーサナの練習をする時、例えばピークポーズで、

 

深いバックベンドのポーズに行くなら、そこまでの道すじをたどって

 

徐々に、徐々に身体を開いていきます。

 

ただバックベンドをたくさんするだけでは、実は深いバックベンドには行けません。

 

どうしてかというと、身体には206個の骨を動かす筋肉が600以上もあって、

 

それが複雑に協働して(助け合って)目的に向かっていくからです。

 

表側と裏側、それを支えてくれてる、有名じゃない小さい筋肉群。

 

それらを十分に働かせられるように、練習をしていきます。

 

身体の一部だけの柔軟性、筋力が高くても、みんなの協力がないと達成できないのです。

 

誰も取りこぼさない。落ちこぼれてたら、硬かったら、動きづらかったら、そこに

 

寄り添うように動いていくことで、無理なく、身体を痛めずにアーサナを取ることが

 

できます。一部の柔らかさだけではなく、力わざではなく、小さい筋肉の声を聞くことで

 

その子も段々と目覚めてくるんだなあと思います。

 

とすると、ピークポーズっていうのは、目標ではあるけど、ただの目標で、

 

実は大切なのは、プロセスなんですね。

 

それを大切にする練習を重ねてると、アーサナは自分のエゴの為にするもんじゃないって

 

ことがわかってきます。

 

「自分の感覚を喜ばせようとする」ためにアーサナをしているのではなく、

 

私たちは身体を制御することで、自分が「こっちに行きたい!」と思う欲も制御してる

 

ってことなんだと思います。

 

自分の欲から離れられると、小さい筋肉たちにも優しくなれます。(^^)

 

 

例えば、親が自分は食べられなくても、子供に美味しいものを食べさせようとします。

 

つまり、自分の欲を抑えてるってことです。

 

アーサナで自分をコントロールする練習をし、欲というモヤモヤした汚れを取っていくと、

 

私たちは謙虚になり、初めて本当に大切なものを感じる力をつけられるのです。

 

そう思って練習してみて下さい。

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時について

  • 2020.03.18 Wednesday
  • 17:32

 

朝の忙しい時間が始まる少し前、うちにあるクリシュナ神とラーダーの像を

 

着替えさせて、ランプ、水、お香、香水を捧げてお祈りします。

 

以前はこのたった10分くらいのことを、億劫に思っていた自分でした。

 

忙しい忙しい忙しい・・・あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと、

 

やることが多い時間の中で、ゆったりお祈りなんてという頭だったからだと

 

思います。

 

 

先日、とても大切な、ヴェーダを学ぶ仲間の一人と会いました。

 

彼女は私などより、ずっと、もっと忙しい方で、それこそ分刻みでスケジュールを

 

こなしている方なのですが、二人で終電近くまで話が盛り上がって、楽しい時を

 

過ごしました。

 

彼女はそんなに忙しいにも関わらず、ゆったりとした時を持っている方です。

 

時・・・雰囲気と言ってもいいかもしれません。

 

 

私は最近気付いたのですが、時間は自分次第で、ゆっくりにも早くもできるということが

 

わかってきました。

 

どういうことかというと、今目の前のことに委ねて、味わっていると

 

その時間は「消費」ではなく、新たに生まれるギフトの時間になるってことです。

 

時間がないない、と思っていると、本当に時間は飛ぶように過ぎてしまいます。

 

そして、気づくと、1日、1週間、1ヶ月、1年、10年があっという間に過ぎる・・・。

 

そんな生き方をしていると、自分は何なのだろう、何のために生きているのだろう?と

 

思ってしまいます。

 

私たちには生きるために、仕事や家族のお世話など、するべきことが山ほどあります。

 

それをやらされている時、時間は消費されます。

 

だけど、1日数分でも、目の前のこと、目の前の人のことだけを考えて尽くす時間を

 

作ってみると、時間は「生まれ」、宝石になります。

 

目の前のこと、人を大切に大切に思って、向き合っている時、そこにネガティブさは

 

やってきません。

 

 

彼女は私のことを大切に大切にしてくれて、私もそう思い、その時を二人で味わったのです。

 

それは宝石のような時になりました。

 

時を宝石にしましょう。

 

仕事でも、他の人と一緒にいる時でも。

 

例え一瞬しか向き合えない時も、そこに集中するのです。

 

向き合えた時、そこに愛が生まれるのだと思います。

 

 

時のことを、カーラと言います。

 

クリシュナ神は、宇宙のあちらこちらに出現しますが、その時間は

 

多次元的だと言います。

 

私たちが思うような「時系列」ではないのです。

 

私たちの過去にも、未来にも現れます。

 

そして、過去は未来であり、未来は過去にもなる。

 

私はイメージの中で何千年も昔に飛んで、クリシュナ神とラーダーに

 

会うことができるし、亡くなった父にも会うことができます。

 

そんな風に、今過ごしている物質的な時間を、ぜひ味わい深いひと時に

 

変えてみてください。

 

ヨーガは、時を大切にする練習にもなります。

 

 

 

自分の家の畑で採れた野菜を持ってきてくれた生徒さんがいました。

大切に育て、摘んだそばから茎を水に浸して、イキイキさせ、

可愛く英字新聞に包んできてくれました。

丁寧に生きてるなあって思います。幸せになりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縛りから自由になっていく道

  • 2020.03.02 Monday
  • 19:16

 

私たちは縛られています。

 

え?どういうこと?・・・今日はそんなお話です。

 

100人の人がいたら、100人違った身体と心があります。

 

身体も心も与えられたものです。

 

私たちは、この身体と心という自分の意思ではどうにもならないものの中に

 

閉じ込められていると言っても良いのです。

 

どんなに気に入らなくても、それがこの世を過ごすための身体なのです。

 

 

私のことをまた話してしまいますが、子供の頃、どうしてこんなに

 

変な顔なの?どうしてプロポーションが悪いの?と悩んでいたことがあります。

 

そう思うなら、心をキレイにしなさい、と親に言われましたが、

 

今思うと、そういう子供にそんなことを言っても、納得しないですよね。

 

キレイになりたいという欲から自由にならなければ。

 

その頃、ヴェーダという教えがあれば、私はかなり救われたのになあって思います。

 

すごくキレイな顔の人もいるのに、どうして神様は人を不公平に作ったんだろう?

 

と思ったものです。そんな話はさておき・・・

 

 

Yogaの(アサナの)練習とは、この身体や心という縛りを解いていく練習と

 

言っていいでしょう。

 

身体の弱い人、トラウマを抱えた人、精神疾患や、そこまでいかなくても

 

ストレスで重圧を受けて苦しむ人たちは、この身体や心というどうにもならない

 

ものの中でもがいています。

 

私のように、「自分はどうしてこんな顔に」のところで終われたらいいのですが、

 

時に、この顔で、この身体で生まれたから私の人生はうまくいかないと考える人たちもいます。

 

また、頑張って身体を強くしようとしたり、医者に行ったりカウンセリングを受けたり

 

する人たちもいますが、そこにも限界があります。

 

それは与えられているものなのだから、諦めなければいけないものなのでしょうか?

 

運命だから仕方ないものなのでしょうか?

 

 

話が変わりますが、トラウマを持つ人の話を聞くと、その人たちは想像できないような

 

苦しみを持っています。自分の意図とは関係なく、身体と心が望まない反応を起こして

 

しまうのです。

 

ヴェーダ経典には、私たちは肉体、幽体(希薄な身体)、本体(魂)でできていると

 

書かれています。

 

トラウマや、精神的な傷は、この幽体にある心に記録されます。

 

衝撃が強ければ強いほど、それは深く刻まれ、肉体にも影響を与えます。

 

肉体と心が自分のコントロールできないところにあったら、それは苦しいに決まってます。

 

ただ、これは実は、私たち一人ひとりにも当てはまる話なのです。

 

毎日私たちは一生懸命仕事をしたり、家族のお世話をしたり、外側からやってくることに

 

対処して生きています。

 

すると、肉体と心はそれに対処するように勝手に動きます。

 

それは無意識に行われていることがほとんどです。

 

「無意識」のパターンに私たちは動かされてしまっている。

 

心に刻まれたパターンに動かされているのです。

 

それなのに、その心こそが「自分である」と思っているから苦しくなるのです。

 

では無意識でない、「意識」とはなんなのでしょう?

 

それは「気づき」です。

 

 

今回ドラッグストアなどで、モノが欠品する中、店員に詰め寄り、声を荒げるという

 

「必死」な人たちが多くいると聞きました。

 

店員に詰め寄ってもどうにもならない、店員も大変な状況の中で頑張ってるんだという

 

ことに思いが至ればこうはならないですよね?

 

同様に、自分の行動、言動、心(思考)のパターンに、もし気づくことができたら、

 

私たちは、少なくとも今抱えてる苦しみの半分からは自由になれます。

 

自分の欲が満たされないからと言って怒ることがなくなります。

 

 

肉体と心がなぜあるのか?

 

それが私たちを縛るものと考えると、苦しみの鎧でしかありません。

 

でも、肉体と心が教えてくれるものに気づいて、意識的になっていくことで

 

私たちはトラウマからも自由になれるのです。

 

Yogaは自分への気づきを教えてくれます。

 

自分をありのままに見て、今ここにいるということを実感しながら、

 

自分の内側にある大切なものに目を向けて、本当の自分を知ること。

 

安定して確かなもの、不変のものと繋がろうとするのがバクティYogaです。

 

 

拙い文ですが、今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

 

石畳のゴツゴツ感、足触り・・・・肉体で感じられるもの

空気感、人の親切、思いやり、愛・・・心で感じ、肉体でも感じるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

味わいは結果を超えていく(婚活話・番外編)

  • 2020.02.20 Thursday
  • 18:30

 

私たちは、毎日目標に向かうように仕事をします。

 

いついつまでに、これを終わらせなさいと言われ(または自分で決め)

 

売り上げ目標

 

業績達成

 

資格取得

 

何かをマスターする

 

・・・・etc

 

 

それは、生きていくためには大事なことですね。

 

「いつか」という漠然とした目標では、なかなか行動に移すことができないから、

 

まず期限を決め、小割りにして、小目標を決めて

 

一つ一つ、こなしていくといいですよ、というのは目標達成のためのセオリーです。

 

 

ところで、この目標達成への行動の中で、障害になるものがあります。

 

計画通りに上手く行ってる時は、嬉しいし、もっと頑張ろうと思えて、

 

モチベーションも上がりますね。

 

でも、上手くいかない時、私たちは苦しくなります。

 

努力しても報われない事も、この世には沢山あります。

 

この時、

 

「上手くいっている」=良い(自分にとって都合が良い、望み、理想通り)

 

「上手くいかない」=悪い(自分の望み、理想通りに運ばない)

 

と、私たちは思っています。

 

当たり前のように思えるかもしれませんが、私たちがいかに自分の期待によって、

 

喜んだり、落ち込んだりするかがわかります。

 

 

私は長い間、結婚相手が欲しくて、お見合いしたり、紹介を受けたりしてきました。

 

この、いわゆる「婚活」ほど自分の希望通りいかないことは他にないんじゃないか、

 

と思うくらい沢山の困難と失敗がありました。

 

人同士の気持ちとは、化学式や数学のように、必ず同じ結果が出るものでは

 

ないのです。

 

しかも、上手くいかないと「これは、たかがお見合い」で、特に断られた場合、

 

「たまたま相手と息が合わなかっただけ」、と割り切れないのです。

 

私も、何度も、まるで自分が全否定されたような気になったものです。

 

現に、「婚活ウツ」に陥る人も多いようです。

 

そのような人が多いから、この記事を書いてるのですが・・・。

 

 

ちょっと話が飛びますが、「婚活」という言い方に、私は抵抗を感じるんです。

 

他に言い方が思い浮かばないので、使ってますが。

 

「結婚する活動」ってことですけど、冒頭に書いたように、これは

 

「目標達成」ありき、みたいに自分を追い込む言葉のように思えるのです。

 

もちろん、そうじゃなく、明るく婚活楽しんでる人もいらっしゃるかもしれませんが。

 

 

では、どうすれば、苦しくなく目標に向かえるのか、というお話をします。

 

大事なのは、何をするのも「味わい」を大切にするということです。

 

 

お見合いは、アレンジメントシステムと英語に訳されるそうですが、

 

結婚したいもの同士が、相手のスペックを選び、出会い、最短距離で

 

結婚できる素晴らしいシステムです。

 

ですが、現代は昔と違って、独身で年齢を重ねていても、後ろ指指される事も

 

都市部ではほとんどありません。

 

その分、「もっと良い人がいるに違いない」と、焦って選ばなくても良くなり、

 

理想が高くなってる。すると、相手をちゃんと知る前に、上辺だけ見てさっさと見切りをつける

 

ということが多くなる。目標達成のために、効率よくやろうとすると、こうなります。

 

すると、「失敗」は失敗でしかなくなります。

 

お見合いは、年齢を重ねて、時間がないと思う人にはメリットも多いけれど、その分断られた時の

 

反動もたくさん来るということを知っておいた方がいい。

 

本当は、自然に知り合うのが一番良いのですよね。

 

色々なサークルや、クラブで友達をたくさん作って、自然に相手を知っていくという方が

 

傷つくことは少なく済むと思います。

 

方法を限定せず、どうすれば自分の良さを生かしていけるかということを考えるのは

 

婚活に限らず、全てのことに言えると思います。

 

 

さて、

 

恥ずかしながら、私のことを書かせてもらうと、失敗する中で沢山のことを

 

学んでいきました。

 

初めは「一緒に食べ歩きができるような、グルメの人がいい」「最低これくらいの年収」

 

なんて理想を持ってましたが、それは外堀であって、何が本当に大切かがだんだんわかって

 

きました。

 

年収が低かったとしても、もし自分に合う人と結婚できたら「自分が食べさせちゃる」

 

くらいの気概で行こうと、最後の方は思ってましたし。

 

それまで生きてきた中で、自分にとって何が大切かといったら、

 

「周囲の人にどれだけ思いやりを持っている人か」だということに気づいたのです。

 

お年寄りがいても席も譲らないばかりか、私が譲ろうとしたら、「お前がとった

 

席なんだから、座ってろ」と言った昔の彼氏もいたんです。全てそういう考えで

 

行動する人でした。

 

彼にしてみたら、私を座らせたいという愛情表現だったのかもしれませんが、

 

「自分たちだけ良ければいい」という考えは私にはなかったのです。

 

相手に合わせることは大事なのですが、それは我慢したり、迎合することではないんですね。

 

その一番大事なところは、譲ってはいけない。

 

どんなに他の部分が良くても、大事なところが合ってなければ断ろうと思いました。

 

贅沢言える年齢ではないのはわかっていましたが、それでも、それこそが

 

結婚の意味と言えるくらい大切なことだと思ったからです。

 

今の旦那は、ホスピスの子供達を訪問して紙芝居をするような、私にとって

 

素晴らしい人です。本当に結婚して良かったと思える人です。

 

それも、スペックや見た目で選んでいたら、巡り会えなかったなあと

 

思います。

 

私たちは3ヶ月も、ほぼ毎日メールをやり取りして、相手を深く知ろうと

 

していきました。焦らずに、そのやり取りを味わって、楽しんでいました。

 

その時気をつけたのは、「キャッチボールをする」ということでした。

 

自分をアピールするよりも、相手の書いてきたことをちゃんと受け止めて、

 

投げ返す、ということをしたと思います。

 

 

 

一回一回のデートを楽しいものにしていく事もすごく大事です。

 

なんとか成功させなければ、自分を良く見せなければと思うと、硬くなり、自然体では

 

なくなりがちです。

 

相手の話を楽しみ、相手の良いところを見つけ出し、(これは自分の練習になります)

 

美味しく食べ、良いひと時を過ごそうとすれば良いのです。

 

デートが楽しければ、結果的に、2回目のデートにつながる可能性も高くなりますしね。

 

そして、そのデートがもし結果に結びつかなかったとしても、ネガティブに考えず、

 

「楽しかった」と味わい、焦らずに次に結びつけていけば良いのです。


 

 

「婚活」話を例に出してしまいましたが、これは仕事にも、他のことにも

 

活かせることです。

 

私は今だに「焦らない」ですることが、得意ではありません。

 

自分では、すぐに結果だけを求めてしまう性格なのがわかってます。

 

だからできるだけリラックスしているように気をつけています。

 

私は、「ゆっくりゆっくり進めば良い」とYogaに教えてもらえました。

 

そのように意識し出したら、勝手に良い方に向かい始めたのは、

 

不思議です。

 

Yogaを始めたばかりの頃はできなかったアーサナも、ふと気づくとできるように

 

なっていたり。

 

気がつけば、心の中に埋もれていた希望が叶っていたり。

 

一瞬一瞬を楽しみながら、コツコツやっていくと、思い通りの結果が来なくても

 

自分の宝になっていくのです。

 

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe!