日記 物よりも

  • 2019.05.24 Friday
  • 20:35

 

私個人の感想かもしれないけど、今までの人生で最も嬉しかったことの多くは

 

全て、人との関わりから来たことだ。

 

改めて振り返ってみて、発見した。

 

例えば、ずっと欲しかった時計を手に入れた時よりも、ずっとずっと大きい

 

その何倍もの嬉しさは、友達、仲間、愛する人々との付き合いの中で

 

感じた情感から得た。

 

時計にはすぐ飽きて、もちろん大事にはしているけれど、嬉しさは持続していないし、

 

今やスマホで時間を確認することも多く、時計をあまり見なくなってしまった。

 

人間同士の感情は、思い出すたびに自分を幸せにしてくれるし、いつまでも

 

その感覚というのは消えないのだなあと思う。

 

なぜだろう?

 

その嬉しさは魂同士の生み出すバイブレーションから来るに違いない。

 

だから人間関係をきちんと作っていくこと、向き合っていくことで、

 

喜びは増え続けるのだろう。

 

物はしまっておくスペースが必要で、いつか壊れるし、無用になることさえある。

 

だけど、魂の喜びは無限に増えても困らない。

 

そんな喜びをたくさん作って生きたい。

 

キラキラしてる✨

 

 

 

日記 脱パターン

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 15:25

 

無意識にやっていることを、もし別の自分が見ていたら?

 

この無意識の行動が、サットヴァ(徳性)であることをできれば目指したいのだが、

 

私たちは、なかなか自分の考え方のパターンから逃れられないのだ。

 

なので、自分の癖で行動してしまう。

 

そのために、内側を俯瞰し、いつもこの行動が「自分の正しさ」ではなく、

 

「真実の正しさ」かどうか見なければいけない。

 

それがYogaをする人の修行だ。

 

 

聖地の中でも必ず行った方が良い場所

ヴァルシャナはラーダーラーニーという幸運の女神の故郷

日記 いじめる人

  • 2019.05.18 Saturday
  • 07:08

 

私たち人間は、少しでも自分を優位に置きたいと思う。

 

そこで、マウンティングする。

 

自分の方が良い大学を出ている、良い会社に勤めている、お金がある、容姿が良いなどと

 

アピールする。

 

また、弱いものをいじめる。人の弱いところを探し、そこをつつく。

 

その根源は恐怖。

 

どういう恐怖か。

 

それは、実は自分は大したことないのではないかという恐怖だ。

 

そういう人はいつも他人と自分を比べるので、自分より優れていると思う人を見ると焦る。

 

そしてコンプレックスを抱いてしまうのだ。

 

つまり、いじめは、自分の方が他人よりも優れていると思うことで、自分の立場を

 

安定させようとする悲しい行為なのだ。

 

そのような行動をする人は、コンプレックスを人に見せることができない。

 

その苦しさに気づかないと、ずっと本当の意味で自分を認めてあげることなど

 

できないだろう。

 

 

もしも、少しでも自分の中にコンプレックスがあるなら、そこには必ず

 

「自分」と他人を比べる心があるはずだ。

 

そのジャッジする心は、批判も生み出す。

 

全て繋がっている。

 

批判は、自分の判断が優れている、または正しいと思いたいからするのだ。

 

批判をやめてみよう。

 

自分がまず正しいと思うことをやめ、人の言うことを一度聞いて、敬意を払ってみよう。

 

そのほうがおそらく自分の心が落ち着き、人を貶めることで得られる一時的な

 

満足はくだらないものだということが、だんだんわかってくるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記 知識を使う時

  • 2019.05.16 Thursday
  • 23:52

 

知っているから偉いのではない。

 

その知識を、愛を持って使うから偉いのだ。

 

本当にこれだけだと思う。

 

愛がなければ、何も意味をなさない。

 

そして本当に愛を持っている人は、人に見えないところで奉仕している。

 

日記 集める人

  • 2019.05.15 Wednesday
  • 22:32

 

人はどうして何かに執着してしまうのだろう?

 

びっくりするほどのゴミを溜めてしまう人も

 

スタバのタンブラーを100個も集めてしまう人も

 

スニーカーを壁一面、箱を積み上げるくらいコレクションしている人も

 

山用リュックサックを50個も持っていたうちの母も

 

 

それを批判して、バカなことにお金を使っていると言うのは簡単。

 

どうしてそうなったのか。

 

それを集めて幸せと思っているのはどうしてなのか?

 

そこに思いを寄せなければ、永遠に彼らは遠い存在

 

 

 

日記 知性を使えるようにする

  • 2019.05.13 Monday
  • 17:56

 

苦しみは全て自分の心からやって来る。

 

同じ物事を見ても、Aさんにとっては「良い」Bさんにとっては「悪い」となると

 

いうことは、物事自体には何の色分けもないということがわかるだろうか?

 

極端なことを言うと、それが怪我や災害だったとしても。

 

ただそれが、自分にとって不都合なことだったというだけの話だ。

 

もちろん、こんなことを書いている私だって、殺されたり、家が火事になったりするのは

 

嫌に決まっている。

 

だけど、どんな人間にも、自分にとって不都合なことは起こるし、良くないとされる

 

不道徳的な行動をする人から被害を受けることもある。それも、この瞬間起こること

 

だってあるわけだ。

 

その時、どうするか?

 

「どうして自分がこんな目に会うのか?」と考え、恨みに思って苦しみの中に

 

ただ入っていくのか?

 

それとも、その心を抑えて、来たことを正面から受け取るかで、全く苦しみ度は

 

変わって来る。

 

以前読んだガンで亡くなった方の闘病記だが、何度も何度も再発し、最後は脳にまで

 

転移して非常に苦しい治療を受けたことが書かれていた。

 

彼女は年齢的にもまだ若く、たくさんの未来があるはずだった。

 

しかし、それに対して勇敢に立ち向かった。

 

いつも明るく、歌を歌い、看護士さんたちを笑わせ、周りの人たちを励ましていたのだ。

 

私にそんな生き方ができるかどうかは別として、病気になっても、辛くても自分にできることを

 

見つけようとした彼女の知性に感服する。

 

心は赤ちゃんの様に好き嫌いを言う。

 

だから、その言うことを聞いていたら、非常にチャイルディッシュな人になってしまう。

 

しかし、それを抑えることができる知性を使えるのが、真に人間的な人だ。

 

大きな試練がやって来た時、心は叫ぶ。苦しいよ!どうしてこんな目に会うの?

 

でも、それを知性で抑えるようにしていけるのだ。

 

それは日常の小さなことをYogaにして行くこと、Yogaで内側を綺麗にして行くことで

 

できるようになって来る。

 

感情のまま動かない。

 

どんな時も周りに親切にできるようになろう。

 

心はこのシャボン玉のようにあちこちに飛び回る。

 

日記 祈りとは

  • 2019.05.11 Saturday
  • 17:32

 

祈りとは何だろう。

 

自分の欲からくる願望を実現させてくださいと祈ることもできる。

 

でも、その欲がどんな欲なのかが問題だ。

 

この肉体にまつわる欲望だった場合、たとえそれが叶えられてもカルマになると

 

言われている。

 

では何のために祈るのが良いのか?

 

それは自分の中にある純粋なもの、そこから来る願いを持って祈るのだ。

 

もしかしてその純粋さから、他人への思いやりが生まれてくるかもしれないし、

 

自分をもっと純粋にさせてください、と祈るかもしれない。

 

そのような願いを神様は聞き入れてくれる。

 

それは間違いない。

 

 

手を合わせ、頭を下げて心から祈るという行為は、謙虚な人でなければできないことだ。

 

神様は謙虚で純粋な人のところに来る。

 

水が高いところから低いところへ流れるように、自分を下げた謙虚な人のところには、様々な学びと

 

吉兆さが流れ込んでくるのだ。

 

心の曇りがあると、それに気づかないかもしれないけれど、いつも心を俯瞰し、

 

掃除しようと努めていると、あれ?と思うことが増えてくる。

 

インドのお家に招かれた時の1枚。この家のおばあさまの笑顔の純粋さ!

お家も余計なものが一切なく、隅々まで清潔で、祭壇に丁寧にお花などが

供えられていました。私もこうありたい!

 

 

 

 

日記 心に植えるべきものは?

  • 2019.05.10 Friday
  • 19:11

 

ヴェーダの教えによると、

 

私たちのチッタ(心)には、見たもの、聞いたものの印象、イメージが記憶され、

 

それが後になって芽を出すと言われている。

 

心理学などで言われているが、初めて会った人には何も感じなくても、

 

2度、3度と会ううちに好意を抱くようになる・・・・というのと一緒で、

 

1度ならず、何度も繰り返してそれを見聞きするうちに、その方向に心が向かって行って

 

しまうのだ。

 

よく、イメージすることが実現するということが言われる。


何度もそれを想像し、目標とする方向に環境づくりをして行くと、だんだん

 

思う方向へ向かって行くのはそのためだ。

 

ところが、例えばテレビのコマーシャルで素敵な車のシーンが何度も流れたりするのを

 

見ていて、印象付けられてしまっていると、それを街中で見た時に、

 

「あ、あの車、コマーシャルでやってたやつだ。やっぱりいいな」

 

などと、まんまとメーカーの罠にはまってしまい、購入してしまう・・・となるわけだ。

 

コレクターもこれと同じ心理だと思う。

 

コレクションしていると、常にそれを見ていることになる。

 

すると、もっともっとという欲が湧いてくる。

 

スタバのボトルを100個以上も持っている人や、それほど収入も多くないだろうに、

 

ロレックスの時計を3個も持っている人を知っている。

 

動物好きで、人間よりも動物に奉仕している人は、その動物に似てくる。

 

もちろん、好きということが悪いわけではないが、人生が他の方向に行ってしまうほど

 

盲目的になっているのは危険ですよということだ。

 

つまり、見たり聞いたりすること、イメージすることによって人生が変わってしまうのだ。

 

これは、考えようによっては恐ろしいこと。

 

だから何を見るのか、何を聞くのか、何を想像するのかはとても大切なことになる。

 

残酷なことや人の悪口などを、好奇心から見たり聞いたりすべきではないということだ。

 

ゴシップとか、ネガティブな情報、自分の欲を刺激するものに振り回されたくなければ、

 

できるだけそういう情報から遠ざかることだ。

 

そして、自分を清浄にしてくれる正しい知識にできるだけ触れていることが大切だ。

 

 

聖地でも最も聖なる領域の一つとされるラーダークンダで沐浴する人たち

 

 

日記 考えにコントロールされない

  • 2019.05.09 Thursday
  • 19:54

 

いつも頭の中が考えでいっぱいの人は、今この場所にいない。

 

考えの中にいるので、目の前のことと向き合っていないのだ。

 

しかもその考えは、考えというよりも、おしゃべりと言った方がよいような、

 

どうでも良い思念、雑念がほとんどで、ネガティブな傾向にあるという。

 

だって考えは自分が生み出してるんだから、仕方ないと思うかもしれないが、

 

そう、確かに人間だったら、普通にしてたらそうなってしまうのは当たり前なのだ。

 

しかし、一旦その考えを静めることができると、世界は一変する。

 

私は特に頭の中とっ散らかり人間だったから、なおさら感激が大きかったかもしれないが、

 

考えが収まった状態になると、目の前のことがすごくクリアーに見えるようになり、

 

先のことの心配をしないので、いつも急かされているような感覚や焦りがなくなる。

 

Yogaをしてその感覚をつかんで行くうちに、どんなに忙しくても「気が狂いそう」と

 

思うことがなくなり、ストレスがどんどん減っていった。

 

頭の中が忙しい人は、今目の前にいる人にしっかり向き合うことも難しくなる。

 

自己中心に物事を考えないと、やっていけない。余裕がないのだ。

 

それは頭の中の考え事に、コントロールされてしまって、目が曇らされている状態と

 

言ってもいい。

 

でも、私たちが目指したいのは、そうではない。

 

コントロールするのは「本当の自分」の方でありたい。

 

頭の中の考えを自分と思わず、「本当の自分」に気づいていくのがYoga。

 

そして、それに気づいて行く時、すごく楽になることがわかってくる。

 

インドの寺院にある神聖な木、トゥラシー

 

 

 

 

 

 

日記 ココロとカラダ

  • 2019.05.08 Wednesday
  • 05:58

 

スケジュールびっしりの日々だが、不思議なことに、その時その時に集中していると

 

(身体は大変だが)精神的には全く辛くないどころか、逆に楽しんでいたりする。

 

昔の私だったら、手帳に書いたスケジュールを見ただけで、具合が悪くなってしまって

 

いたかもしれない。

 

以前のパターン

 

まず寝る前に手帳を見て、「明日はあれとあれとあれがある」と思う。

 

当然用意が必要な場合もあるが、用意をする時に色々想像を巡らす。そして不安になったり

 

さらに念には念を入れた準備などをする。

 

朝、起きる。「今日はあれとあれとあれがあるから頑張ろう」と思うが、結構

 

プレッシャーを感じていたりする。面倒だなと思う。

 

移動時間や移動方法、食事のことを考え、少し心配になる。

 

一つ目のスケジュールの途中から、次のこと、また次のことを考えている。

 

二つ目、三つ目も同じく、常に先のことを考えている。

 

こうして1日が終わると、もうぐったりだ。

 

 

今は手帳に書いて、用意したら何も考えなくなった。

 

考えて良くなることは考えるが、考えても仕方ないことは考えなくなった。

 

スケジュール中は、目の前のことだけを考えていられる。集中できる。

 

不安もない。

 

こう書いてみると、全てYogaを始めて変わったのだなあと実感する。

 

ほんと、楽になります。

 

 

 

 

さて、目の前のことに集中できるようになったのは良いのだが、

 

昨日、練習中に腰が「ピキっ」となり、歩けなくなってしまった。

 

ぎっくり腰とも言えるかもしれないが、炎症を起こしてないのはわかった。

 

随分無理していた大腰筋が収縮し切って、立ってられなくなってしまったのだ。

 

整体に行くと、「大腰筋、腸腰筋、カチカチですね〜」と言われてしまった。

 

でも、面白いことに、大腰筋と腸骨筋をほぐしてもらったら、嘘のように

 

歩けるようになった。家に帰ったらまた痛みが出て来たが、とにかく原因は

 

ハッキリしたので喜んでいる。

 

今、試験に向けて練習が偏っているので、まんべんなく体を使わないと、

 

こういうことになるとわかった。

 

どんな人も身体と心は、必ずメンテナンスしなければならない。

 

それは神様から頂いたものだから。

 

そしてその身体と心は自分のために使うものではないのだ。