1/17 日記 食べること

  • 2019.01.18 Friday
  • 08:15

有難うございます、と思って頂く

 

 

 

昨日はエカーダシーという断食をする日だった。

 

満月と新月から数えて11日目に行う。なので、だいたい、ひと月に2回くらいある。

 

インドのブラフマナ、ヴァイシュナヴァ、アーチャーリャの方々など、水も飲まない

 

断食をする方もいるそうだ。

 

でも、そこまではちょっと・・・・という人は穀類(コメ、小麦など)と、豆を食べない

 

やり方で行う。

 

私は後のやり方でやっているので、ヨーグルト、果物、野菜を食べて過ごしている。

 

この日は、穀類、豆類にカルマが宿るということで、穀類、豆類を食べないということだけど、

 

考えてみたら、私たちが食べるものほとんど全てに、多少カルマは宿っている。

 

植物だって生きているから、その命を頂いているということなのだ。

 

ただ、動物の方が植物よりも高い意識を持っているので、動物の命を奪うことの方が

 

大きなカルマを背負うことになるということなのだ。

 

カルマを全く生じない純粋な食べ物とは、乳、ハチミツ、果物の3つだそうで、

 

確かに、命を奪わずに頂くことができる。

 

 

エカーダシーで良いことは、自分が生かされているということに気づけるということだと

 

思う。

 

食べ物に困らない国に住んでいると、食べるものを頂くことへの感謝を、普段忘れがちだ。

 

だから月2回、気づかせてもらえると思っている。

 

肉、魚を食べないと体臭がなくなるし、体が軽くなる。

 

エカーダシーの時は、穀類豆類も食べないのだが、これでリセットされる感じがある。

 

肌の透明感も出るし、たるみが(笑)改善。

 

胃腸が休まるからなんだろうね。

 

ちなみに、女優の中谷美紀さんも、ヨガ修行を兼ねたインド旅行記の中で、旅行中全く

 

肉、魚を食べなかったら、快適だったと書いていた。

 

 

 

 

 

 

1/16 日記 相対評価

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 11:15

その言葉が、「現象」をありのまま表現しているのか、「意識」を含んでいるのか。

それを仕分けて使うことで、ほとんどの混乱は消えて行く。

 

 

 

私は○○できないから、ダメな人

 

・・・・と思って、自分に低い評価を下す人がすごく多い。

 

私が若い頃、鬱病になったのもそれが原因だった。

 

周りは素晴らしい人ばかり。でも自分にはできない。自分はそうじゃない。

 

どうしてこんな自分に生まれたんだろう?と思う。

 

すると、それが苦しみを生む。

 

逆に、人より優れていると思う人は、エゴの中に入る。

 

 

人は何を持って他人を高い、低いと評価するのか。

 

学歴、地位、人気がある、美人やイケメン、仕事ができる、交渉力がある、

 

コミュニケーション力がある、料理が上手い・・・

 

(あっ、これ、自分で書いてるけど、マルバツをつけたら、全部バツですわ、私。)

 

 

私たちの肉体に関する環境を「物質界」と呼ぶ。

 

物質界ではスペック(性能)評価が幅をきかせている。

 

よく、電気製品を買ったりする時に、このPCはここは優れている、この機能はないとかって

 

製品別比較表みたいなのが載ってるの、見たことがあると思うが、

 

それと同じように私たちは評価されてきた。

 

自分が評価されるもんだから、自分も人を評価するようになってくる。

 

それが物質界なのだ。

 

評価って、相対的なもの。

 

比べるものがあるから、評価が生まれる。

 

どうして評価しなければいけないの?

 

これです。

 

人はみんな違うのに、スペックという目線で評価しても、そこには意味がないってこと。

 

そして、「人と比べて劣っている、優れている」という考えは、自分が勝手に

 

作り上げているわけ。

 

人と比べて劣っている、と思う人は、実は裏では自分も人を評価してる。

 

(ここ、意識してない人もいるけど、大事です)

 

もう少し言えば、他人のテストの高得点や、有名大学に入ったというのも、

 

「テストの点が100点だった」

 

「東京大学に入った」

 

という現象として捉えることだ。何の色もつけないということ。

 

もちろん、「すごいですねー」と褒めてあげることは、物質界で上手くやるには

 

大事だけれど、妬むことはしない。特に無視することもない。ただ受け止めるのだ。

 

それを知って、自分も頑張ろうと思うことは素晴らしいが、

 

比べて自分を過小評価する要素ではないってことだ。

 

 

自分は自分のままでいい。

 

敢えて相対性を使って言うなら、どんな人にもいいところ、悪いところがあるってこと。

 

でも、本当は良い、悪いなんていう価値観はない。

 

腐りかけたリンゴは「悪い」ものですか?

 

脚が太いのは「醜い」ですか?

 

その根拠は?

 

 

物質界のやり方に惑わされて苦しむのではなく、Yogaでありのままを受けとり、

 

評価しない練習をしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/15 日記 自分の所有物なんてない

  • 2019.01.15 Tuesday
  • 15:28

 

生徒さんたちが頑張ってYogaに来て、変わっていくと嬉しく感じる。

 

どんどん自分の内面に気づいて、自分を助ける方法を身につけていったり、

 

考え方が変わって、遠くから見られるようになりました、

 

身体が楽になった、なんて聞くと、

 

Yogaに出会えて良かったねーと思うのと同時に、どんどん愛情も湧いてくる。

 

でも、愛情と所有をごっちゃにしてはいけないと自分を戒める。

 

「自分のおかげで」なんて思った途端に、おそらくその考えは外に漏れ、反動を受ける。(笑)

 

「うちの生徒」「私の生徒」なんて、所有意識が出たら、自分は思い上がってると思う。

 

もちろん、「うちの生徒」と言葉では言うこともあるが、その意識は、

 

「教えさせて頂いてる」にとどまる。

 

神様が寄越してくださる生徒さんを、責任持ってケアする、という感覚だ。

 

 

この感じって、何にでも言えるのだ。

 

自分の夫であっても、自分の子供であっても、本当は「自分の」ものではない。

 

こんな私の元に、よく寄越してくださったなあと思ってケアすれば

 

ありがたいという思いしか湧いて来ない。

 

で、こんな傲慢な私がこう思えてるってことも、きっと神様が、

 

「あやつは傲慢だから、欠陥をたくさん持たせてやれば、苦労するだろう。

 

その結果、様々なことを学ぶに違いない」としてくれたことなんだ。

 

アレンジなんだなと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

1/14 日記 素直さ

  • 2019.01.14 Monday
  • 19:30

 

素直さ

 

この性質がどんなに大切かと、日々思う。

 

「素直ってことは、人の言いなりになるってことでしょ?そんなことしてたら

 

騙されたり、いいように使われてしまう。だから私は自分のカンと経験を信じて生きます」

 

・・・という人のところに、幸運の女神は来ないと、最近思う。

 

 

私たちは、この世の荒波を乗り切るために、一生懸命、五感をフルに使って生きてる。

 

五感を使うというのは、要するに肉体を危険から守ったり、肉体にとって快か不快かを判断する

 

機能を使っているということだ。

 

目で見て、鼻で匂いを嗅ぎ、耳で音(声)を聞き、肌で熱さ冷たさなどを感じ、舌で

 

味を知る。

 

全部、原始、サバイバルに使っていた感覚。

 

私たちは実際に五感で受容するものだけを信じる傾向にある。五感とは、肉体意識だ。

 

自分のカンや経験というのは、この肉体意識に基づいている。

 

これに頼っているために、ハートを開く、ハートで感じるということを忘れてしまってる。

 

ハートで感じるというのは、肉体でもない、心でもない、本当の自分である、魂で感じるっていうこと。

 

真の素直さは、ハートで感じることから来る。

 

 

「自分は全て理屈がないと納得しなかった、自分の心に従って好き嫌いを判断していた」と

 

気づいたと話してくれた人がいる。

 

それに気づきだしたら、何かが変わってきたそうだ。

 

人への対応や、自分自身が見えてきたと。

 

「気づく」って、すごいこと。

 

ハートを開く準備ができたってこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/11 日記 間違わないビジョン

  • 2019.01.11 Friday
  • 09:37

 

ほとんどの人は、「自分は間違っていないと思っている」と、今朝の師匠の話を聞いて、

 

あっ、確かにそうだと思った。

 

自分の判断が正しい、または、これが正しいんじゃないかと思うから、人は先に進む。

 

私だってそうだ。

 

でも、その判断はどこからきているのかと考えると、純粋な知性ではなく、

 

自分という汚れた存在が下してる。

 

(こう書くと、ちょっと抵抗ある人もいると思うけど、Yogaの哲学では、

 

聖者と呼ばれるような人以外は、この世の人は全員汚染されていると考える。

 

だからYogaをして、自分を浄化して、正しいビジョンを持とうと修練する)

 

なんで汚れてるのか。それは、全て「自分」中心に世界が回っていると考えてるから。

 

 

新年に神社に行く。または、教会やお寺に行く。

 

今年の幸福を願う。

 

「○○に、合格しますように」

 

「結婚できますように」

 

「商売がうまく行きますように」

 

みんな当たり前に祈る。

 

私は小さい頃から考えていた。

 

こんなにみんなが自分の利益のことを願ったら、神様は処理しきれないのでは?(笑)

 

 

 

この前、何の気なしに、FBに流れてきた宣伝なのだが、

 

「正しい祈り方」(こういうタイトルだったか、正確に覚えてないけど)

 

「あなたのその祈り方で、本当に願いは叶いますか?」みたいなサブタイトルが。(笑)

 

ちょっと面白かったので、クリックすると、私と同じことを言っていた。

 

「自分のために」祈ると、神様は聞いてくれないか、叶えてもらえない可能性が高いと

 

いうのだ。

 

 

ほぉ〜。

 

じゃあ、どう祈るのかというのは、その本だか、電子書籍だかを購入しなければ

 

わからないのだが、たぶん、自分の利益、自分の持ち物と思ってる家族だけの

 

ために祈るのではなく、神様が喜ぶことの為に祈りなさいよということだと思う。

 

 

合格して一生懸命勉強して、人のために尽くすようにしたい。

 

結婚して足元を固めて、人のために尽くせる自分になりたい。

 

商売が上手くいって、儲かったお金を人のために使いたい。

 

頭が良くなって、人のために役立つ研究をしたい。

 

何でも「人のために」「神様のために」願うことだ。

 

 

ちょっと話が横道に逸れたが、

 

自分の持っているものを人のために使おうとすると、絶対良いことが起こる。

 

神様は絶対見てるなあと、最近特に強く感じる。

 

だから、自分が正しいと思うビジョンは、「それ、神様が喜びますか?」に照らしてみることだ。

 

昔の人が、「お天道さんは見てる」と言ったり、

 

私がよく親に、「隠しても、神様は全てご存知ですよ、見てますよ」と言われたのと同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/10 日記

  • 2019.01.10 Thursday
  • 10:45

 

 

夏、毎日のようにYogaの練習に行ったり、自主練していた。

 

暑いので身体もすぐ開いてくる。肩関節、股関節が開くと、つまりが取れるような

 

感じがして、スッキリする。

 

私たちの身体は、世間の荒波を生き抜くために、どうしても緊張状態になりがちだ。

 

だからYogaでゆっくり、無理せずに関節、筋肉を伸ばし、身体の中にスペースを

 

作ってあげると楽になる。

 

身体と心は密接につながっているから、身体の中にスペースが広がれば、

 

許容と愛情の生まれる空間もできる。

 

心もゆったり、楽になるのだ。

 

Yogaで自分の中を広げていくことで、許容と愛情が生まれると、自分だけではなく、

 

他人にも優しさが生まれるんだなあと思う。

 

 

さて、夏の間は、この自分の硬い身体を、むやみにヒネって伸ばして叩いて鍛えてた。

 

練習すると、身体がどんどん動くようになるのが面白いというのもあった。

 

でも、最近またTT(ティーチャーズトレーニング)に行きだし、もっともっと細かく

 

機能的に身体を使うことを習い始めたら、スポ根的な「むやみ」はあまり意味ないんだなと

 

いうことがわかった。

 

身体が柔らかい人が、グイーンと一般の人が行けないところまで行って、満足感を覚える。

 

そこには、「気持ち良さ」もあるだろうけど、気をつけなければいけないのが、エゴが

 

増長するということだ。

 

エゴは、他人に対して、自分が優れているという奢った気持ちになることだけではない。

 

身体が限界にあるのに、アライメントの範疇をオーバーして、欲に身を任せてしまうエゴもある。

 

ここは微妙なのだけど、判別するのは、まず一つ目は、

 

「呼吸が気持ちよくできているか、できていないか」

 

もう一つは、

 

「関節を縮めて、過剰な負荷を与えていないか」

 

 

ここを、知恵を使って制御することが大事なのだ。

 

知恵を使って、先生に言われたアライメントを守りながら、適度に真剣になれるところまで

 

行くことで、エゴを制御する練習にもなる。

 

 

前に、仲間内で、上級者が行う難しいポーズを次々こなす人がいた。

 

その人は自主練を続けていたからなのか、それまでの先生があまり注意しなかったからなのか、

 

ある身体の一部の柔軟性を使って、ポーズをこなしていた為に、身体の一部分だけが

 

やたらに柔らかくなってしまっていた。

 

その部分に頼ってポーズをするので、他の部分に進化がなくなってしまうのだ。

 

また、その部分への負荷は大きくなる一方なので、いつか怪我をしますよと先生が

 

おっしゃって、アサナをアジャストし続けた。

 

するとその人は、練習に来なくなってしまった。

 

もちろん、他の理由で来なくなってしまったのかも知れないけれど、

 

もし言われたことを直したいなら、素直になってやり直せば、必ず正道に戻ることはできる。

 

アサナの練習だけでも、色んな学びが得られるなあと思う今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/9 日記

  • 2019.01.09 Wednesday
  • 15:56

 

年賀状を見ると、しばらく会ってない友人と家族の写真などが載っていたり、

 

近況が書いてあると、元気なオーラが伝わって来て嬉しくなる。

 

言葉一つで、雰囲気は伝わる。

 

言葉は大事だと昔から思っていたが、実はノンバーバルコミュニケーションというのは

 

もっと大事だ。

 

ノンバーバルとは、言葉を使わないコミュニケーション。

 

例えば、目線。

 

恥ずかしくて目を合わせられないのと、わざと目を合わせないのは違う。

 

何か会ったのかな?ちょっと後ろ向き?

 

疲れ気味?エネルギーが下がっていく方向?

 

もしそうなら、状況によるが、見守るか、元気が出るような言葉をかける。

 

元気になって、今日1日を少しでもハッピーに過ごしてもらえたら、私は嬉しい。

 

その手伝い・・・というとおこがましいけれど、気づくきっかけになればと思う。

 

一番嬉しいのは、相手が自分の状況に気づいて、自分でケアできるようになること。

 

自分を潤す。

 

潤すには何をすれば良いのかを考えるとこまで、いけたらいいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/8 日記

  • 2019.01.08 Tuesday
  • 18:24

 

 

自分を信じられる、という人は相当な努力をしたり、苦労をして乗り越えて来た方なのかと思う。

 

私自身はここまで、いつも迷い、揺れながらやって来た。

 

でも最近は、どうせ自分のカンなど不確かなものなのだからと、真剣に選択していない。

 

自分を信じられるほどの自信もないので、ただ努力だけして、神様に委ねようと思うだけだ。

 

不安になる時は、だいたいやることをやってないことが多いものだ。

 

先のことは誰にもわからないし、過去の失敗を悔いてもどうすることもできない。

 

だから、今努力するだけだ。それが、「自信」というほどにはならなくても、

 

杖のような役割をしてくれるし、失敗したことで胸にあいた穴を埋めてくれる。

 

その杖を使って歩くのみ。

 

 

努力をしている人は、他人をチェックすることなどどうでも良くなる。

 

自分に向かっていける。

 

そして、必要としている人に、今自分が持ってるものを無償であげられるようになる。

 

優しくなれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/7 日記

  • 2019.01.07 Monday
  • 14:05

 

昨日のTTで、H先生がYogaを教えに行っている高校の運動部の話を聞いた。

 

オリンピックの監督をつとめた方が監督について、世界レベルの練習を積んでも

 

全国大会で1勝もできず、それはそれは苦しい状態だったと想像できたと、H先生。

 

先生がまず行って気づいたのが、高校生たちの、周囲の方や親に対する態度だったそう。

 

「自分たちが(自分たちの力で)強い」という意識で、それは傲慢に見えたそう。

 

それがYogaと哲学で変わって来ている。

 

Yogaを受けた次の日、彼らは自主的に町のゴミ拾いをしたという。

 

自主的に、H先生の他の場所でのYogaを受けに来たのを見て、先生は変わっていくだろうと

 

予感したそうだ。

 

その後、彼らは勝てなかった全国大会でベスト8まで進出したそうだ。

 

彼らは、H先生のYogaで感謝の心を初めて持った。

 

自分たちがここまで来られたのは、親をはじめ、町の人たちの協力があったからなのだと

 

気づくことができた。

 

 

感謝の心、思いやりの心を忘れたところには、望むものはやって来ない。

 

自分一人で生きている、自分だけが良ければいい、という考えがあるところに、

 

神様はやって来ない。

 

私たちは生かされている。

 

その感謝を他の人に向け、結果を期待しないで行動すれば、望まなくても結果はやってくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

12/29 日記

  • 2018.12.28 Friday
  • 23:51

 

「Yogaのアサナを練習することは感じる力を養う」とH先生に言われて、

 

あらためて、本当にそうだなあと思う日々。

 

自分の身体がどういう状態にあるのか、普段は外側の刺激に意識を向けているので

 

全く意識してない人が多い。

 

 

ヴリンダーヴァンを流れるヤムナ川。 ガンジス川から繋がっている

 

 

例えば、スタジオに鏡がある。

 

でもYogaでは、その鏡を見ない。鏡を見ているうちは、まだ外側に向いてる。

 

鏡を見ると、目からの情報に頼ってしまう。内側の感覚が薄くなってしまう。

 

目は、見たいものしか見ない。私たちは、「自分の心」を経由して

 

物を見てるフシがある。

 

だから、正確に見ることができない。

 

目に頼らなくても、身体の隅々まで意識を行き渡らせていると、自然に

 

何も見えなくなる。

 

ガイドする先生の言葉をよくよく聞いて、どこに体重が乗ってるのか、

 

土踏まずが引き上がってるか、目線は、呼吸は・・・と、ただ、身体に

 

一生懸命になることが、自分を内側に連れて行く。

 

肉体は正直な判断を導き出す。

 

身体は、今ここにあり、心のように好きにどこかに行ってしまうことがない。

 

アサナの練習中は、その声を通して内側に旅する。

 

何にも汚されてない本当の自分に出会う。

 

 

 

 

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