魂の性質

  • 2020.02.05 Wednesday
  • 19:00

 

私たちの心は、いつでも動き回ります。

 

それが心の特徴です。

 

インド哲学の経典には、心という目に見えないものが何なのか分析され、書かれています。

 

私たちの苦しみの原因が心にあるということを経典は教えてくれてるんです。

 

 

私たちの身体は、わかりやすく言えば上着、下着、本体(中身)のようなもので、

 

 上着がこの肉体

 

 下着がサトル・ボディ subtle body(幽体、アストラル体)

 

 本体が魂

 

だと書かれています。

 

心はこのサトル・ボディにあると言われます。

 

 

そして、本体(魂)の性質は、サットチットアーナンダです。

 

(よくサッチーナンダと続けて発音されているのを聞きます)

 

 サット=永遠

 

 チット=知識

 

 アーナンダ=幸福

 

永遠なんです。

 

つまり、不滅ってこと。

 

インドの聖者が亡くなる時、「肉体を離れる」という言い方をします。

 

この世で使ったけど、古くなってしまった上着を脱ぐということです。

 

そして生まれ変わるということを言っています。

 

この「私たちは(永遠の)魂」という認識があると、人の苦しみは大分減ります。

 

そう思いませんか?

 

 

どうして私たちは怖がるのか、というと、肉体に苦しみを受けたくない、死にたくない、

 

自分の(肉体に関する)ものを失いたくないという執着を持ってるからです。

 

魂は、この身体を離れる時に何も持っていけません。お金も、地位も、家も、何も。

 

生きてる時はほとんどの人が、それを意識しません。

 

それを早い段階で意識しておくことは、今後の生き方を楽にします。

 

そして、死は単に上着を着替えるだけで、魂の終わりではないということを信じると、

 

恐怖が大分薄らぐのではないでしょうか?

 

 

 

私の知ってる方の話です。

 

その方は、ずっと先の出かける予定の日の天気が心配だし、新型ウィルスが

 

流行ることが心配で、夜も眠れないことがあるといいます。

 

健康な人は笑うかもしれませんが、とても身体が弱く、小さな頃から、そうやって

 

恐怖と戦ってきたというのです。

 

病気になりたくない・・・つまり苦しみたくない(誰だってそうですよね)

 

死にたくない・・・

 

大変な人生だったのだなあと思うと、涙が出ます。

 

 

 

私たちが心の働きに左右されてしまうのは、自分が魂だという知識がないか、

 

それを聞いても信じようとしないからなのですね。

 

もちろん信じるに越したことはないけれど、信じられなくてもいいと思うんですよ。

 

でも、信じて何の損になるのか?むしろ苦しみが減っていくんだったら、

 

その知識を学んだ方が良いと私はいいと思ってます。

 

 

もし死への心構えができたら、今この時を充実させ、一生懸命生きることができると

 

思います。

 

ずっと先のことを心配し、今日を暗い気持ちで過ごして台無しにしてしまうのではなく、

 

この瞬間を、一瞬一瞬を丁寧に、味わって、自分の仕事や与えられた役割を

 

しっかり果たしながら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛のYoga

  • 2020.01.30 Thursday
  • 19:34

 

Yogaとは「つなぐ」という意味。

 

何と何をつなぐのか。

 

それは、揺るがないもの、私たちを作った大きな魂と、私たち小さな魂をつなぐものと言われる。

 

 

私たち小さな魂は、大きな魂から離れてしまうと、自分の役割を忘れて

 

好き勝手に生き始めてしまう。

 

すると、自分が主人公になっているので、やってくる苦しみを「自分の力で」

 

なんとかしなくちゃ〜と思って奮闘することになる。

 

そしてヘトヘトになり、心が折れたり、精神的に参ってしまったりする。

 

苦しみとは、

 

 天変地異、自然災害など

 

 他人から来る苦しみ

 

 生老病死

 

 自分の心の苦しみ

 

の4つと言われます。

 

いずれも避けられないもの。

 

人生には良い時もあるし、悪い時もある。

 

何とか、良い時が多くなるように、私たちは頑張ろうとするのだけど、

 

何しろ、「小さな魂」なものだから、不安定。

 

上がったり、下がったり、人生という大海の中を流される小舟のよう。

 

嵐が来たら、沈んでしまうかもしれない。

 

運任せになるって、怖いよね。

 

だから思い出した方がいいんです。

 

「大きな魂」のことを。

 

自分がどこから来て、何者なのかを知らずに生きるのはとても不安定。

 

でも、私たちは大きな魂とつながっているんだ、

 

するべきことがあるんだって気づけると、苦しみを越えられるんです。

 

 

Yogaを身体の鍛錬としてやっている人も大勢いらっしゃいます。

 

クラスが終わった後の、スッキリした感じ。

 

心のモヤモヤが取れているような・・・。その状態をサットヴァと言います。

 

その気持ち良さも大切なこと。

 

でも、まだそのままでは「自分意識」から完全には抜け出せない。

 

 

 

 

人は愛によって生かされるんですが、高い段階の愛とは、「自分」から離れられた時に

 

やってきます。

 

自分のことはさて置いて、人の為に、大きな魂が喜ぶように行動していく練習をすると、

 

ハッと気付いた時、そこに苦しみがなくなり、安定があることがわかるのです。

 

バクティ・ヨーガは愛を練習するヨーガ。

 

キールタンを歌うことから始めてみましょう💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛のために進歩する

  • 2020.01.13 Monday
  • 19:56

 

バクティヨーガ。

 

それは愛のヨーガ。

 

仕えることで愛を得ることができるという教え。

 

人は自分以外の誰かの幸せを願ったり、尽くすことで幸せを感じられるように

 

できているといいます。

 

実際、自分を観察してみると、自分よりも人が喜んでいるのを見る方が

 

嬉しくなる。

 

それが、人の本質 だからと聞いた時、納得した。

 

本当の愛は、結果や見返りを求めずに与えるものなのだ。

 

でも、私を含め、多くの人はなかなかそれができなかったりする。

 

自分の利益を考えた時、無償で人に仕えるというと、「損する」とか、

 

「こんなにしてあげてるのだから、何か見返りが欲しい」などと思ってしまう。

 

自分のことで精一杯だったり、人より自分が得したいと思っていると、

 

無償の愛を与えるのは難しい。

 

 

 

 

昔の話。

 

私の知り合いに恋人ができた。

 

もう聞いていると、こっちまで赤くなるようなノロケ話ばかりで、ウキウキしていた彼女。

 

ところが、つき合いだして1週間、1ヶ月、3ヶ月・・・と経つうちに、表情が暗くなってきた。

 

話すことは、「彼氏が『こうしてくれない、ああしてくれない』という不満ばかり。

 

愛していると言ってくれない。

 

まめに電話をくれない。

 

家まで送ってくれない・・・

 

私のことを愛していないんじゃないか?

 

相手を愛すれば愛するほど、疑う気持ちが増えていくようだった。

 

そして、彼のことを話しているうちに、彼女はしょっちゅう泣いた。

 

どうして私がこんなに愛しているのに、わかってくれないの?

 

側から見ていると、彼氏はとても冷静な感じで、彼女ほど感情豊かではないように

 

見えたが、ちゃんと彼女のことを思っているということが伝わってきたんだけどなあ。

 

こんなに好きな人がいて、幸せなはずなのに、彼女は彼氏の気持ちが見えなかった。

 

自分から不幸のドツボにはまって行った。

 

そして・・・・二人は半年ほどで結局別れてしまった。

 

別れた原因の細かいことまではわからないのだけど、

 

彼女は、愛を「してもらう」ことで得ていたのかなと思った。

 

自分が尽くす、仕える喜び、相手の幸せを見る喜びの大きさを知っていたら

 

苦しまず、目の前の相手を大切にして、穏やかに関係を育てていけたのではないかな。

 

外からやってくる幸せを待っていると、私たちは不安定になる。

 

でも誰かに尽くすことは、やろうと思えばいつでもできる。

 

 

ただ、尽くすだけなら、自己満足に終わることもある。

 

尽くすことを目的にするのではなく、相手の幸せのために行動する。

 

それにはどうしたらいいのかな?

 

相手を真に幸せにしようと思ったら、相手をよく観察しなければならない。

 

時には自分の能力をフル活用する必要もあるかもしれないし、

 

頭も良くしないといけなくなるかもしれない。

 

だからそのために勉強もしたり、自分の能力を磨きたくなる。

 

愚鈍で怠惰だったら、相手に喜んでもらえる奉仕ができないと思ったら頑張れる。

 

そんな風に、結果的に自分も進歩していく。

 

自分のためではなく、愛のために自分が進歩できたら、素晴らしいと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yogaは調和する生き方 2

  • 2020.01.10 Friday
  • 18:55

 

Yogaをやってる人、Yogaをやってない人。

 

もっと言えば、ヴェーダの知識を知ってる人と、知らない人。

 

そこには大きな違いがある。

 

だけど一方で、違いがないとも言える。

 

大きな大きな、本当に大きな意味で、この世はYogaで満たされている。

 

だけどそれがわかる人とわからない人がいて、それはわかりやすく言えば、

 

運命のせい。

 

運命は、自分の魂が貯めてきたポイント数や、星の配置や、宇宙の性質によって

 

変わると言われている。

 

ポイント数が多ければ、Yogaが深くわかるようになっていく。

 

 

 

ヴェーダを知って、Yoga的に生きようとすると、苦しくなることがある。

 

周りとの軋轢を感じた時だ。

 

 

例えば、私はヴェジタリアンなんだけど、そうじゃない方を、初めは違う目で見てしまって

 

いたと思う。

 

アルコール、タバコもヴェーダの教えによれば、取らない方が良いとされている。

 

だから、アルコールやタバコを取ってる人との隔たりを感じていた。

 

でも、だんだんそれは違うなと思い始めた。

 

(もちろん、肉、アルコール、タバコを取ることから発生する害はあるわけで、

 

やめると考え方までがクリアーになり、ビジョンが変わるので、Yogaをする方には

 

オススメする)

 

 

話はそれるのだけど、私に

 

「肉を食べてます。すみません」と言ったり、

 

「アルコール飲んでます。すみません」と言う方がいるのだけど、

 

私に謝らないでいいんです。

 

それは自分自身の中のこと。

 

人から勧められたことがキッカケになるかもしれないけど、何よりも自分が止めようと

 

思えることが大事なんです。

 

前に書いたけど、「納得している」ことが大切。

 

そうじゃないと苦しいだけだ。

 

私は、もし、「お肉やめたんです」と言う人がいたら、素晴らしいなあと思って

 

褒めたいと思う。

 

それだけなのだ。

 

 

話は戻るが、そうやって、ヴェーダを知っているということを色眼鏡にしては

 

いけないと思っている。

 

自分は知っていて、

 

相手は知らない。

 

それだけの話なのよね。

 

知りたい人は知ろうとする。

 

興味を持たない人は、今は興味がない「状態」であって、それはそれ。

 

そういう人も、ちゃんとYogaという愛に包まれて、この世を終えていくのだ。

 

私たちは全て、根本は同じなのだ。

 

だから、Yogaを学ぶ人に言うが、自分が知ってて「優れている」わけでは決してない。

 

知っている人は、知ったことを愛にして、謙虚に毎日の生活の中で配っていけば良いだけだ。

 

 

 

Yogaを学んでいる人と付き合うことは、すごくすごく大切なことだ。

 

でも、周りはそうじゃない人の方が多い。

 

その中で、どうYogaの愛を伝えながら調和して付き合っていくかなのだと思う。

 

愛ある態度、言葉を発するとそれはじわーっと、必ず伝わる。

 

Yogaは人と自分を分けることではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は行動から始まる

  • 2020.01.09 Thursday
  • 19:01

 

バクティ・ヨーガは愛のヨーガ。

 

ひびきが良いです。みんな「愛」が大好き。(笑)

 

みんな愛について知りたい、学びたいと思っていると思います。

 

だって、全てこの世にいる者にとって、一番必要なものだから。

 

この世を創った神様でさえ、一人では寂しいと思ったのです。

 

だから自分の伴侶をつくったのです。

 

 

前にも書きましたが、実は愛って体験からしか学べません。

 

だけど、愛の体験が少ないと、心と体験が結びつかないんです。

 

だから「わからない」。

 

自分の理解の範囲外ってことです。

 

いつも思うのですが、自分が体験したことのないことは、想像は幾らかはできるかも

 

しれないけれど、皮膚の感覚とは繋がらないんですね。

 

自分は愛されたことがないと思っている人もたくさんいます。

 

でも、そう思っている人も、実はすごく愛されてるんです。

 

あなたを愛している人がいるんです。

 

なぜあなたが生きているのか。生きていられるのか。

 

それは誰かに支えられているからではないですか?

 

そこに思いが至らぬほど苦しい人は、愛に飢えているのだと思います。

 

そして体験が不足している。

 

その時どうすればいいのでしょうか?

 

学ぶとやってきますか?

 

知識は本当の愛を与えてくれるでしょうか?

 

いいえ。

 

まず、行動することから始めましょう。

 

Love in Action

 

待っているだけではなく、自分が発するのです。

 

すると、愛の力がやってくるんです。ホントに。

 

今、自分ができることで行動して見てください。

 

別にボランティアに出かけたりしなくてもいい。

 

まず目の前の人を大切にしてみましょう。

 

呼吸を大切にしてみましょう。呼吸に感謝する。

 

地球に、食べ物を作ってる人に、水に、笑顔をくれる人に、感謝する。

 

そこからです。

 

それを続けてると、愛を感じる力がついてくるんです。

 

そしたら、ほんのすこしで良いから、自分を捧げてみるんです。

 

自分の時間。

 

自分の体力。

 

愛ある言葉。

 

全て愛の方向へ向かうように生きてみることが、愛の体験を運んできます。

 

すこしずつ始めてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の故郷を訪ねて(番外編)

  • 2020.01.07 Tuesday
  • 10:43

 

あけましておめでとうございます。

 

今年も皆さんにたくさんの吉兆が来ますように!

 

最大努力して、皆さんのためにできることをしていきます。

 

よろしくお願い致します。

 

 

年末年始、父の生まれ育った地である台南へ行ってきました。

 

FBに書いたのですが、従姉妹に誘われ、いつかは行こうと思っていた台湾へ行くことに

 

なっていたところへ、10月くらいに本当に偶然に、台湾から父に郵便が届きました。

 

差出人は、台湾人らしいお名前で、父の小学校時代の友人の方かなと思っていました。

 

日本語と英語で書いた手紙を出したのですが、返信が来なかったので、日本語と英語は

 

わからないのかなあと思っていました。

 

こうなったら直接訪ねようと思い、今回、台南でその人の住所を訪ねて行くと、偶然家に

 

いらっしゃいました!

 

実は郵便を下さったのは、父の同級生だったお父上ではなく、息子さんだったのです。

 

彼は大南門小学校という、昭和天皇も訪問されたという父の母校についての

 

博士論文を書いていて、その序文を父に送ってくれたのでした。

 

彼は私達に会ったことに感激して、何とか話せる日本語と漢字を使った筆談で、

 

私と従姉妹にいろいろなことを話してくれました。

 

また、父から行った年賀状も見せてくれました。

 

久しぶりに見た父の力強い筆跡でした。

 

次の日、待ち合わせして、大南門小学校に私たちを連れて行ってくれました。

 

そこには、驚くべきことに、父の小学校時代の成績表が保存されていました!

 

70年も前のものなのに。

 

残念ながら、父の姉と弟の分は空襲で焼けてしまったそうです。

 

親切にもコピーを取ってくださり、持ち帰らせてくださいました。

 

 

従姉妹は、亡くなった父の姉の子なのですが、その叔母から聞いた

 

父たち兄弟が遊んだ路地裏、祖父が営んでいた店などに案内してくれて、

 

しみじみ父がいつも話してくれた台湾の楽しい思い出を追想することができました。

 

 

台湾から引き上げた日本人は、焦土と化した本土に着いた時、その貧しさ、食糧難に

 

本当に驚いたそうです。

 

台湾はパラダイスとされていて、本当に豊かな島だったようです。

 

戦時中でも食べ物に困ったことはなかったのです。

 

日本人が引き上げて、中国から政府軍がやって来た時に、台湾は荒らされました。

 

そのおかげと言っていいかわかりませんが、日本の統治時代は良かったと思われ、

 

日本人は台湾人に良い印象を持たれているようです。

 

本土に戻った祖母は(祖父は途中で行方不明になり、後でわかったのですが、頓死したそうです)

 

女手一つで父たちを育てました。

 

侍の家系だったのもあったと思いますが、非常に気丈な人でした。

 

父たちも働き、倹約して家を助けました。

 

そのため、豊かな時代になり、相応の給料を得て困ることがなくなっても、

 

父は自分は最低限の下着や衣類で、外食もせず、健康のためと言って歩けるところはバスにも

 

乗らず、何の贅沢もせずにお金を稼ぎ、貯金し、私たちを育ててくれました。

 

私が成人してからも「小遣いはあるのか?」などと聞いてくれたりしたものです。

 

 

私は、生まれつきはあまり性格のいい子供ではなかったと思います。

 

ですが、父のピュアさを見て育ちました。それはありがたいことでした。

 

何が人にとって必要か。それは誠実さ、愛だということを父は教えてくれました。

 

人は環境に影響を受けます。

 

特に人の質をもらいます。

 

だから、できるだけ愛ある人に近づくことです。

 

「(憧れの)あの人のようになりたい」と良く言いますが、まさに

 

自分が愛ある人になりたければ、そういう人の息吹を頂くことだなと思います。

 

 

話は飛びましたが、きっと今回の旅行で、私は一つやり残したことを消化できたのだと

 

思います。

 

従姉妹ともう一度関係を作りたかったし、父の子供時代を辿ることもできました。

 

バクティヨーガを始めてから、たくさんの、自分でも表立って気付いてなかった

 

望みがどんどん叶っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お互いが助けられてる

  • 2019.12.25 Wednesday
  • 18:58

 

去年ヴリンダーヴァンで、熱中症で倒れて、師や仲間に助けてもらった。

 

人の優しさに包まれて、人に頼ることも大切なんだ、一人で生きてるんじゃないんだと

 

思えたことは、私にとって大きかった。

 

それもバクティヨーガを学ぶ中での、スピリチュアルな体験だったんだと

 

今は思う。

 

そして今年、(結局最後はまた転んだけど、)前半私はグループのみんなの

 

お世話をすることで、自分が去年の恩返しができたと思い込んでいた。

 

ところが、後から考えたら、私は寝ているみんなに助けられていた!ということに

 

気づいた。

 

助けただなんて、思い上がりだったなあって思った。

 

看病をするという体験も、実は私にはとても大きなことだったのだ。

 

ちょっとでも楽になってもらいたいと、一人ひとりの顔を見て、症状を聞き、言葉をかける。

 

今苦しんでる人が目の前にいるというシチュエーションが、今までの人生で何回あったか。

 

きっとたくさんたくさんあったに違いないのだ。

 

それなのに、私はいつも自分自分だったから、きっと本当の意味では助けになんて

 

なっていなかったかもと思う。

 

私はその人たちを、ちょっとでも癒せたかと問うと、

 

そうではなかったかもしれないなあと思うのだ。

 

 

自分が苦しみの外にいる時、苦しんでいる人に寄り添うことは

 

実は形だけになりやすい。

 

本気で、寄り添うこと。

 

それが今回できてたかというと、自信を持ってイエスとは言えないけど、少なくとも

 

行動は本気でできたと思うのだ。

 

もし今、苦しんでいる人がいたら、人に助けられることを悪いと思わないで。

 

あなたは今、実は人を助けてる。

 

どんな交歓であっても、それは愛に支えられている。

 

素直に助けられよう。

 

そこには関係ができる。

 

そして、スピリチュアルな無償の行動には、

 

助けるとか、助けられるとか、実は関係ないんだなあって思ってる。

 

 

 

 

 

 

心を宙ぶらりんにすると何が起こるか

  • 2019.12.23 Monday
  • 16:48

 

 

先日、心を宙ぶらりんにしないことということを書いたんだけど、

 

ここんとこ、心を宙ぶらりんにしたために苦しみの中に入ってしまっている人に

 

何人もお会いしてる。

 

先日もお一人、話をお聞きした。

 

彼女は「こんなくだらないことで悩んでいる自分が」と何回か口にされた。

 

くだらなくなんてないです!

 

概要を書かせていただくのだが、

 

通販で物を買った。品物が届いたら、ちょっとした傷があった。

 

後で、それが原因になって壊れたら嫌だったので、取り替えてくださいと会社に電話をした。

 

家の人に見せると、こんな小さな傷で?と言われたので、やっぱり取り替えるのを

 

やめようと思って、品物を使ってしまった。

 

通販の会社に電話して、使ってしまったので取り替え不要ですと電話した。

 

しかし、会社の人は、でもそれが原因で壊れたらいけないので、やはり取り替えましょうと

 

言ってくれた。

 

そうなのかと思って、その日は就寝した。

 

しかし、夜中にモヤモヤしてきて心臓がドキドキし出した。

 

交換したら、品物は無駄になってしまう。(使ってしまったのもある)

 

会社の人に申し訳ない。

 

どうして自分はこんな小さなことでクヨクヨして心配してしまうのか。

 

どうしてもっとおおらかに考えられないのか?

 

最初、傷などあっても気にしないでいれば良かった

 

・・・などなど、頭の中にたくさんの考えが湧いてきて、さらにクヨクヨして

 

とうとうあまり眠れないまま、夜が明けてしまった。

 

 

何が正解ということではなくて、ご自分の本当の希望を見つけることが

 

ここでは大事だと思った。

 

それは、今自分がどうしたら心地よい方向に行けるのか?ということだ。

 

「家の人に言われたから」ではなくて、自分がどうするのが良いか、納得できるのか

 

いうことだ。

 

話を聞いているうちに、「罪の意識」という言葉がその方から出てきた。

 

その罪の意識をなくすにはどうしたらいいと思いますか?と聞くと、

 

返品交換はしない、ということに落ち着いた。

 

そしてもう一つ、

 

「こんなくだらないこと、こんな小さなこと」という言葉の裏にあるのは、

 

「自分はもっと大らかで、細かいことを気にしない人間になりたい」という希望だった。

 

「先生だったらどうします?」と聞かれて、

 

私なら、傷自体を気にしません。大雑把なんですよねとお答えすると、(この答えが

 

良かったかどうか・・・汗)

 

そうでしょう?私もそうありたいのですとおっしゃる。

 

こうありたい

 

こうでなければ

 

世間はこう

 

という言葉は自分を縛る。

 

ここで出てきた「大らかになりたい」という希望は、自分を縛ってしまった。

 

これに縛られて、この方は「私は小さい、ダメな人間だ」と自分を傷つけてしまっている。

 

自分の本当の声は、この心の声に揉み消されてしまった。

 

だから身体が言えない声を代わりに発したのね。

 

心臓ドキドキ・・・。

 

 

クヨクヨしてる?

 

それならそれでもいいのです。

 

例えば、人を許せなければ許せないでもいい。

 

その声を自分が否定したら、心はどこにいけばいいの?

 

自分が「そうなんだね。クヨクヨしてるんだね」「あの人を嫌いなんだね」と

 

認めてあげることなのです。

 

「クヨクヨしちゃいけない」「人を嫌っちゃいけない」と思わなくていい。

 

理想の、大らかな自分も

 

理想の、人と公平に好き嫌いなく接することができる自分も

 

いつかはそうできたらいいのかもしれないけど、まずは置いとく。

 

そして、今クヨクヨしてることも、人を嫌いなことも、

 

今はそうなんだから仕方ないよって認めて、自分を頑張らせない。

 

 

この方は、マントラを唱えるジャパ瞑想を最近あんまりやってなかったなあと

 

おっしゃって、やってみますとおっしゃっていた。

 

心に揺れ動かされないように、私たちはアーサナを練習したり、マントラを唱える。

 

「心の声」という言葉は何気なく使ってしまうけど、その声に流されるのではなくて、

 

自分の心地よさを見つけてあげよう。

 

それはすごくすごく恥ずかしがりで、小さい声。

 

とても繊細。だから、センサーを使って感じることが必要だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何のために、誰のために

  • 2019.12.22 Sunday
  • 17:58

 

自分の感覚満足のために行う行為をカーマという。

 

自分自身を喜ばせようと思って、ほとんどの人が生きてる。お金を稼いで、使う。

 

大勢の人が、自分や自分に関連するものを幸せにしたいと思ってる。

 

これが私たちがこの世に生まれた原因だ。

 

だから自分を満たしたいと思うことは当然。

 

だけど、物質欲には際限がない。

 

そして、別の見方をすると、際限がある。

 

どういうことかというと、買っても買っても、勉強してもしても、地位が上がっても

 

もっともっと欲しくなる。

 

それなのに、そこには打ち止めがある。

 

飽きる。

 

本当の満足が来ない。だから欲が止まらない。

 

すると今度は競争に目が向く。

 

人より優れてるというステータスをあげることに血道をあげる。

 

 

話は飛ぶが、それなら、学習欲、知識欲は際限ないから、一生涯学ぶことは素晴らしいこと

 

なんじゃないの?と思う人がいるかもしれない。

 

実は、それもカーマなのです。

 

自分を喜ばせるためにやってるなら、それは自己満足なのね。

 

 

全て愛の為にやることが、本当の満足への道なのだ。そして

 

カルマから抜け出す方法なのだ。

 

何でも、どんな行為も、愛の為になってるかな?と考えること。

 

そうすると、正しいかどうかがわかる。

 

何のために、誰のために学ぶのか?

 

何のために、誰のためにアーサナの練習をするのか?

 

何のために、誰のために健康になるのか?

 

・・・・・って、全部「何のために、誰のために」と考えると、

 

答えは見えてくるんだよね。

 

「自分がこうしたいから」

 

「自分が好きだから(嫌いだから)」という理由だったら、

 

意識を変えてみるといいと思う。

 

そこから本当の満足が何なのかが見えてくるかもしれないよ。

 

 

 

 

心を宙ぶらりんにしないために

  • 2019.12.18 Wednesday
  • 20:51

 

人から攻撃されたり、憎まれたりしたら、誰だって嫌な気持ちになるし、

 

その人を嫌いになる。

 

そして、その人から逃げたり、遠ざけようとする。

 

これは当たり前のことだから、「自分には忍耐力がない」なんて思わなくていいと思う。

 

この「嫌い」という心は、ヴェーダではドベーシャという苦しみの種類の中の一つに

 

数えられる。

 

 

私は昔、嫌いな人が多かった。

 

「どうしてあの人って嘘をつくの?」

 

「どうして怠け者なの?」

 

「どうしていつも人の気持ちを考えないで物を言うの?」

 

 

などと考え、怒ったり呆れたりして、少しでもそういうところがあると、距離を置いていた。

 

今考えると、そういうところが全くない人の方が少なくて、そんなに人を

 

選んでる自分に欠点はないのか?という疑問を自分に投げかけると、

 

「少なくともあの人よりはマシ」なんて自分には緩かった気がする。

 

 

「嫌い」の源は、心から来る。

 

心って、子供のようなもので、

 

楽しい、気持ちいいことには「好き好き好き〜っ」て寄っていき、

 

自分の思う通りにならないこと、理想から外れることには「嫌い、大っ嫌い!」となる。

 

当然、自分を嫌う人、攻撃してくる人には、言わずもがな。

 

 

じゃあ、ただ苦手で嫌いな人を遠ざけていけばいいのかな。

 

それでもいい。

 

その時、自分を守るためにね。

 

だけど、こうして避けて、避けて、避けまくっていると、何が起こるか。

 

いつまでもそれが続くのだ

 

同じようなことが、同じような人がいつまでも現れる。

 

これは私も経験してるので、本当だ。

 

私は環境が変わっても同じ人が3人も4人も自分の前に現れた時、これが

 

カルマってやつなのねと思った。

 

皆さんも思い当たる節はないだろうか?

 

 

人と和解する時、何が大切か。

 

それは心が納得してることだ。

 

我慢して相手の要求を飲んだとか、仕方なくそうした、という場合は

 

本当に和解したと言えないと思う。

 

我慢したり、悔しい思いが残ったままだと、それはいつまでも思い起こされる。

 

心に傷がついてしまう。感情が宙ぶらりんだ。下手すると体にまで影響が出る。

 

じゃあ、どうすれば心が納得するか。

 

それは相手に哀れみの心を持つことだ。

 

これは決して「上から目線」という意味ではない。

 

相手がどうしてそういう行動に出ているのかということを想像する。

 

何か原因があるからそうしてるわけだ。(多くの場合は、愛への飢餓感が根っこにある)

 

そして、その人は「させられている」と考えるのだ。

 

人の性質や行動はカルマや、グナという宇宙の性質によって決まると言われる。

 

 

 

その一方で、それを嫌う自分の心を観察しよう。

 

「嫌い」と、「嫌う心を持ってるな」は大きく違う。

 

感情を観察すると、そこに飲み込まれなくなる。

 

私は嫌う心を今持っている。だけど、この人はさせられちゃってるんだ。仕方ないんだ。

 

可哀想な人なんだ(と思っていい)

 

そして更に攻撃されないように、ガードしつつ、必要最低限の話、普通の挨拶程度をする。

 

それができた時、あなたは超えられる。

 

完全にではなくても、問題にしてたことと向き合うことができ、心の言うことを

 

コントロールし、相手にも思いを至らせられた時に。

 

嫌われても嫌われても尽くそうとするのは、現実問題無理がある。

 

(もしできたら素晴らしいけどね)

 

ただ慈悲心を持って、遠くにいよう。